鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

求めなさい。そうすれば、与えられる

朝、5時過ぎには目が覚めるので、いつまでも布団に横たわっているのも、時間がもったいないという思いから起きだします。ひととおり教会や幼稚園を見て回ります。園庭を覗くと、いろいろな鳥達がいます。保育中は鶏をサークルに入れており、結構餌をこぼしているので、そのこぼれた餌が目当てであるのです。まず、鳩が数羽います。雀や他の鳥も餌を捜して園庭をチョコチョコと歩き回っています。カラスもいますが、カラスの狙いは鶏がこぼした餌ではないようです。幼稚園の門を出たところがゴミの回収所であり、生ゴミをあさりに来るのです。そこは結構人が通るので、なかなかゆっくりあされないようです。電線や屋根の上からじっと見下ろしているのでした。こうして幼稚園は鳥達の日毎の糧を得るところになっています。
一方、教会もまた鳥達の希望でもありました。教会の入り口付近にびわの木がありました。季節になると小粒ながらたくさんの実がなります。人間が食べる前に鳥達のご馳走になっているのです。鳥に食べられるのが面白くなくて実に袋をかぶせた人がいました。鳥達はびわを食べ散らかし、それが坂道に散乱します。滑ってしまうこともあります。大変危険でもあり、鳥達には気の毒ですが、びわの木は切り倒してしまいました。鳥の被害はまだあります。牧師館の雨戸の戸袋に巣を作ってしまうことです。その雨戸はほとんど開閉しないものですから、巣を作るには絶好のところなのでした。開閉しないから巣をつくっても良いのですが、雛がかえり、親鳥が餌を与えるときのうるさいこと、それで朝早くから目を覚ましてしまうのでした。鳥が巣立ってから戸袋を掃除したことがあります。木の枝等次から次へと出てくるのでした。教会も幼稚園も鳥達の希望の場でありますが、もちろん人間の希望の場であることは言うまでもありません。教会、幼稚園を通して平和と祝福の人生が導かれることを祈っているのです。
今日は水曜日です。夜、7時30分から水曜集会が開かれました。聖書の学びとお祈りの集いです。夜の集会ですからあまり出席者は多くはありません。今夕は女性3名、男性5名、計8名でした。聖書の学びはマルコによる福音書13章であります。ここは小黙示録といわれ、迫害や困難な状況に生きながらも、希望をもって生きる励ましが与えられているのです。聖書のメッセージを示され、祈る課題へと導かれるのでした。
まず、週報で報告された事柄を祈題とします。週報には集会案内、集会報告や今後の活動計画、そして消息が掲載されています。消息では入院されている方や、自宅で療養されている皆さん等か掲載されています。特に交通事故にあった佐竹樂太朗君についても消息欄で報告されています。これらのことを祈りの題として、出席者が心を合わせてお祈りするのです。教会では「教会の歩み」という予定表を出します。そこには毎日お祈りする人の名が記さされています。それらの皆さんをもお祈りするのでした。さらに、教団出版局が発行している「信徒の友」には祈るべき教会が紹介されています。教会名、牧師、教会の状況、そして教会の祈り等が紹介されているのです。訪ねたこともない教会でありますが、同じ日本基督教団の教会としてお祈りするのでした。大塚平安教会も信徒の友で祈られる教会として紹介されたことがあります。その日を迎えるとたくさんのお手紙をいただきます。覚えて祈りました、と記され皆さんの寄せ書きをされる教会があり、細かい字でハガキにびっしりとメッセージを書いておられる方もありました。約100通のお手紙をいただくのです。
祈ること、神様に心から願うとき、神様はその祈りを受け止めてくださいます。そして、神様のお心により導いてくださるのです。私達は祈りをささげるとき、私達の祈ったとおりの結果が現れないと祈りが応えられたとは思わないのです。まず今の自分を省みることです。今まで祈ってきたことが今の自分であるのです。どんなにかたくさんのお恵みによって支えられていることでしょうか。そのお恵みを確認した上で、さあ今日も神様にお祈りをいたしましょう。
聖書の言葉
「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば見つかる。門をたたきなさい。そうすれば開かれる」(マタイによる福音書7章7節)