鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

お泊り保育・神の国の祝福をいただきつつ…

 お泊り保育の二日目が始まりました。5時過ぎには起きだす子ども達がいましたが、園長は6時30分に目が覚めました。普段の生活では5時には起きるのですが、やはり子ども達との生活は年寄りには応えます。青空の下、まだ木陰がある広い駐車場で礼拝をささげました。詩編1編の言葉を読み、ナルニヤ国物語の一部をお話しました。来る途中のバスの中で、園長が本を読んでおり、先生が何を読んでいるのか、皆の前で聞きました。そのとき書名を言ったので、この礼拝で、改めて園長がバスの中で読んでいた書名を尋ねました。一人のお友達がちゃんと覚えていて、書名を言ってくれました。結構、子ども達はいろいろと受け止めていることを示されました。ナルニヤ国物語の「ライオンと魔女」は実はイエス様のことが記されていること、イエス様が十字架の苦しみを通して、わたし達の悪い姿を救ってくださったことをお話しました。先生達もナルニヤ国物語がキリスト教と関係していることを始めて知ったとか。
朝の体操、食事、そして箱根園へと向かいました。下から駒ケ岳を仰ぎ見ると、なんとも暑そうです。暑かったら、すぐに下山するつもりでロープウェイに乗りました。頂上についてみると、予想を超えて涼しい風が吹いていました。1300m.ですから、やはり涼しいのでしょう。雲も張り込んで、暑さもなく楽しくお弁当を食べました。
下山して、今度は水族館の見学です。箱根の山に水族館があるなんて、面白い発想であるとかねがね思っていました。私は、もう毎年見学しており、そんなに興味深く見て歩きませんでしたが、今回は一回りしてから隣の水族館に移り、本来なら出口へと回るのですが、先生と子ども達が最初の水族館に再び戻るものですから、私も再び水族館に入りました。既に見学したのですが、観覧席があり、そこに腰をすえて大きな水槽を観覧したのでした。いろいろな魚が優雅に泳いでいました。大きなエイが羽ばたくように泳いでいます。小さな魚がいつも群れを作って行き来しています。ひとりでのんびりと泳いでいる魚もいました。なんか、天国の魚達だなあ、と思いました。海や川、湖に生息する限り、たえず敵なるものに注意していなければなりません。人間という恐ろしい存在もあります。大きな魚が襲ってくるでしょう。鳥達もたくみにこの身をさらっていくのです。しかし、この大水槽は襲ってくる存在はいないのです。習性となっている小魚の群れを成して泳ぐことも必要ないのです。食べ物はちゃんとやってくるし、のびのびと何の心配もなく過ごせるのがこの水槽なのでした。天国の魚? はたしてそうなのかな、と思わされました。
それぞれグループで行動しています。一つのグループは5、6名であり、1、2名の教師が担当しています。一人のお友達が急に言うことを聞かなくなりました。皆と一緒に動くことを拒否し、一人で自由に歩きまわりたいのです。説得しますが聞いてくれません。別の方角に行こうとしますから、お友達を抑えなければなりません。彼は泣きながら抑えられている手を叩きます。しかし、その後は皆と一緒に行動するようになりました。本当は好きなお友達と手を繋ぎたい。でも、グループなのだから、どんなお友達とも手をつながらなければならない、子ども達はちゃんとわきまえているのです。神の国に生きるとは自由に、好きなことをして過ごすことではありません。自分との戦いがあります。自分を越えて、今必要なことを受け止めていく、そこに神の国の祝福があるのです。幼稚園で、またお泊り保育の中で体験的にお友達と共に成長していく姿が培われるのでした。ナルニヤ国物語も苦しい状況を過ごすうちにも神の国が実現していく様を描いているのでした。何の心配もなく、何の苦労もなく、何の自分との戦いなくして、神の国の祝福をいただくことはできないということなのです。

聖書の言葉
神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ。」(ルカによる福音書17章21節)