鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

聖書に親しむ皆さん(幼稚園の「聖書に親しむ会」)

 今日は幼稚園では「聖書に親しむ会」が開かれました。お母さん達と聖書を読むひとときです。聖書を輪読し、園長がその聖書について解説し、その後懇談します。読んだ聖書について、聖書やキリスト教全般について等のお話に及びます。そして、いつの間にか子育てについての懇談になるのでした。お母さん達とお話しできる良いひとときでもあります。親しくお話しをするうちにも、園長の人生が気になるのでしょう。牧師になるそもそもの気持ちとか、私と連れ合いとの出会いは何か等、言いにくいことまで聞かれるのでした。楽しいお交わりのときでもあります。
今年度は旧約聖書を読んでいます。このところしばらくは新約聖書を読んでいました。約10回もないので、順番に読み進めるわけにはいきません。特に社会的にも知られている聖書を取り上げ、読んでは説明をするのでした。4月と5月は開催できなく、6月が第一回であり、本日が第二回目の集いです。前回は創世記の1章を読みました。天地の創造をされた神様と創造の意味について示されました。創世記は科学の書ではありません。従って、創世記に記されている天地創造をもって、これが地球の始まりであるとは言えません。聖書は人間への指針であり、人生をどう生きるかを示しているのです。天地創造を示しながら人間の生きる道を示しているのです。前回に続き、本日は創世記3章の人間の堕罪について示されました。アダムさんとエバさんが禁断の木の実を食べてしまい、罪の姿になったことを示されたのでした。
聖書に親しむ会は月に一度の開催です。今回は5名の皆さんが出席されました。多いときは10名の皆さんが出席されます。聖書を読み、皆さんと懇談するとき、園長自身もいろいろと情報を得ることができ、喜んでいます。世の中のドレーパー記念幼稚園に対するうわさなども知ることができます。結構参考になることもあり、現在の取り組みを反省することもあるのでした。お母さん達もこの幼稚園に一人でも多くのお友達が入ってくれることを願っておられ、そのための情報提供でもあり、また新しい提案等もしてくださるのでした。
聖書に親しむ会はかなり昔から開かれています。赴任して28年目を迎えていますが、赴任する前から開かれていたのです。その頃は園児も多く、聖書に親しむ会にもお母さん達の参加が多くのありました。毎年、年度が改まると新しい聖書に親しむ会が開かれますが、年少で入園した場合、3年間も集いに参加される場合があるのです。本当に3年間も出席されて、うれしく思いました。それで、ある時は読書会にしたことがあります。聖書ならず本を取り上げ、もちろん子育てに関する本ですが、読んでは感想を述べる集いとしました。しかし、続きませんでした。やはり聖書に親しみたい、とのご希望があり、それからは聖書に親しむ会として今でも続けているのです。
こうして開かれている会ですが、今まで出席された皆さんを時々思い出します。出席された皆さんを忘れられないのは、いつも出席簿に記名していただくからです。昔からの出席者のお名前を、出席簿を開いてはなつかしく思い出すのでした。さらに年度の終わり頃になると出席の皆さんが「しおり」を作ります。しおりの表には園長が聖書の言葉を書きます。そして裏には出席された皆さんがサインするのです。一回の出席は5名であっても、年度中に一度でも出席されればサインしていただくので、10名以上の皆さんのサインが並ぶのでした。一枚一枚手にしながら皆さんとの出会いを思い出しているのです。私にとっては大事な宝物であります。
願うことは、聖書に親しむ会のOBの会を作ることです。幼稚園ではお母さんのコーラスの集いがありました。そのグループは幼稚園を卒業した後もコーラスの喜びを共にしています。一生聖書に親しみたいのです。祝福の人生でありましょう。

聖書の言葉
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(テモテへの手紙<二>3章16節)