鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

開かれた教会として(教会の出入り口工事)

 
 大塚平安教会は入り口への坂道を工事しています。この道は幼稚園児も通るので工事中は十分注意していただきます。
大塚平安教会は道路より小高く、入り口へは坂道になっています。そのような造りは入りにくいという現実があります。高齢となり足腰が弱くなってくると、ゆるい坂道なのですが、かなりきついと思われます。しかも坂道の端に階段がついていますが、これがまた歩きにくい階段なのでした。まして車椅子でこの坂道を登るのは大変でもありました。それで幼稚園に周り、幼稚園の玄関から入り、教会への通路がありますので、そこから入ることになります。しかし、車椅子でそのまま教会に入るのではありません。その通路も階段があり、車椅子で入ることはできないのです。従って、幼稚園の玄関から入るものの、教会への通路は歩くことになります。その方は車椅子でもまったく歩けないのではなく、多少は歩けることができるからです。それも結構大変な事でもありました。
それで、何とかして教会の玄関から車椅子でも入れる対策を役員会で検討していました。教会の玄関付近にリフトを設置することも考えて見ました。スロープを長くするために、教会の玄関前から横にある牧師館の玄関までスロープを設置する案も出ました。牧師館と礼拝堂は繋がっているからです。いろいろ検討しましたが、結局今回の工事となりました。今回の工事のきっかけとなったのは、実際に坂道を車椅子で上がったボランティアの方が助言してくれたからなのです。一人の教会員がかねてより礼拝に出席されたいというご希望を持っていました。しかし、その方は車椅子の生活であり、どのようにしてお迎えするか検討していました。そしたら、その方はボランティアさんの介助を得て礼拝に出席されたのでした。それも、無理だと思う教会の坂道から教会の玄関に入られたのです。そのボランティアの方に、教会はリフトを設置するとか長いスロープを造ることを検討していることをお話しました。そしたら、そのボランティアさんは、そんなに大掛かりなことをしなくても、今のスロープを少し整備すれば車椅子でも入れることを助言してくれたのです。今までの坂道の半分についている変な階段を撤去し、玄関前の階段も少し整備すれば、後は数人で車椅子ごと玄関に運び込めば良いとのことでした。そのような工事をしているのです。
教会は開かれた存在です。すべての人が自由に出入りできる教会でなければなりません。昔はあまり障がい者のことを考えませんでした。従って、階段であろうと手摺がなかろうと、あまり考えもせずに教会を建設したのです。しかし、今は新しく作られる教会はどこもバリアフリーの建物です。礼拝堂が二階にあればエレベーターがついており、坂道もなく、どこを歩くにも手摺があり、中には点字ブロックもはめ込まれているのでした。
大塚平安教会もかねてより新しい教会建設を目指していますが、今のところ具体的な取り組みができていません。大きな問題は敷地内に都市計画道路の線が敷かれているからです。いつ実施されるか分からないままに時を経ているのです。しかし、都市計画道路の結果を待つのではなく、もう少し積極的に取り組む必要があるでしょう。
ところで、幼稚園児は歩道橋を渡り、階段の途中から教会へ入れる道を通り、教会の玄関前を通って幼稚園の入り口へ向かいます。公的な歩道橋の途中から私的な施設へ入れること、問題があると思われるかもしれません。実はこの歩道橋が造られとき、教会の土地を提供したのでした。それで、便宜を図ってくれて、歩道橋の階段途中から教会へ入れるようになりました。この通路は結構利用されており、幼稚園児はもとより、教会の皆さんも近道となるこの通路を通って教会に来られるのでした。すべての人々に開放されている教会です。どこからも自由に入れる教会の建物を目指しています。

聖書の言葉
「教会はキリストの体であり、すべてにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です。」(エフェソの信徒への手紙1章23節)