鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神様、あなたの出番です(佐竹樂太朗君の交通事故)

 
 月曜日に少年院で一人の少年と面接をしているとき、携帯電話の受信がありました。マナーモードにしてありましたので、面接が終わってから発信者に連絡しました。小学校一年生のお子さんが交通事故にあい、北里大学病院に救急車で搬送されたと言うのです。少年院は相模原小山にありますので、北里大学病院は帰り道にあります。救急・救命センターに駆けつけることができました。両親はもちろんですが親族、学校の校長先生、担任の先生もおられました。今は処置をしているところであると言われました。一時間も待ったでしょうか、病室に移されました。ようやく事故にあった少年と会いました。彼は意識不明となっています。事故以来意識不明のままなのです。体の骨折はなかったようですが、頭をうっており、左の目の辺りも紫色にはれていました。検査の途中でありますが、異常は今のところ認められないということであり、いずれ意識は回復してくるとのことでした。しかし、今日、水曜日の朝になっても意識は回復していません。水曜日のお昼頃、お父さんのお話では、今は麻酔により眠った状態であると言われています。「がんばれー」と少年に向かって叫んでいます。そして、日夜お祈りしています。
「神様、今は意識不明のまま、その体が懸命に生きようとしている少年を助けてください。彼に回復に向かう力を与えてください。お医者さんの回復への術を増し加えてください。両親をはじめ彼を愛する人々に導きを与えてください。
神様、あなたの出番です。私達は日ごろ神様を忘れ、なにもかも自分の力で生きていると思っているのです。うまくできて人から褒められるとき、自分の力はたいしたもんだと自負しています。結構、苦しいことがありましたが、ちゃんと切り抜けています。みんな自分で自分の道を歩いていると思っているのです。しかし、神様、今こそあなたの出番です。あなたのお力が必要なのです。あなたの奇跡をも生み出す力が必要なのです。今になって思います。何もかも自分で切り抜けてきたと思っているこの私に、神様がどんなにか力を下さり、導きを与えてくださっていたのです。それなのに、私は私の功績であるかのように思っていたのです。何もかも私の人生はあなたのお計らいでありました。いつだってあなたの出番であったのに、私の出番としていたのです。出番と思っていただけで、何一つできなかつたはずです。あなたが終始出番をされたからこそ、今の私があることを、いまさらながら知ることができます。もう、私の出番なんか考えません。あなたの出番です。あなたの御力を現してください。意識のないままに生きようとしている少年に、どうぞ力を注いでください。癒しの御手、支えの御手を差し伸べてください。
この悲しい、苦しい時にあなたに切なる願いを続けている両親と家族に御心を示してください。そして、現れるべき結果において、勇気を持って受け止めていく力を与えてください。
慈しみをもって私達を導く主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン」

聖書の言葉
「神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練にあわせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
(コリントの信徒への手紙<一>10章13節)

「主よ、わたしの祈りを聞いてください。この叫びがあなたに届きますように。苦難がわたしを襲う日に、御顔を隠すことなく、御耳を向け、あなたを呼ぶとき、急いで答えてください」
詩編102篇2-3節)