鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

今日の日はさようなら(少年院で)

 
 昨日は幼稚園の会堂礼拝につき記しましたので、やはり昨日の少年院について記せませんでしたので、本日の日記と致しましょう。
月に一度、相模原市小山にある神奈川医療少年院に出かけています。医療少年院ですから、治療が必要な少年達の収容施設なのです。治療とは精神的なものであり、知的障害があると思われる子ども達でもあります。少年院では教誨師ではなく、篤志面接委員という立場です。少年達と面接をし、更生を導くのです。
今回から新しい少年の面接が始まりました。O君と言いましょう。O君は17歳の少年です。暴力団に関わっていたとのことです。少年の話によれば、彼は高校を中退して、ぶらぶらしているうちに、友達と共に暴力団に入りました。何をするかと言えば、兄貴分と共にサラ金の取立てをすることでした。最初は自分でも恐ろしくなるくらいのことでしたが、度重ねるうちに恐ろしさも無くなったと言うのです。もちろん家には帰らず、暴力団が借りているアパートがあるのです。兄貴分から適当に小遣いをもらいながら毎日過ごしていたのです。結局、人に暴力を振ったので逮捕され、少年院送りとなったのでした。今年1月に入院しましので、もう六ヶ月になります。
暴力団にはもう絶対に入りません」とO君は言いました。「暴力団は何がいけないの?」と聞きます。「みんなから嫌われているし、悪いことでお金をもうけている」と答えていました。六ヶ月の少年院生活を振り返って、「これからは悪いことをしないで、親孝行をしたいです」と言い、「自分が落ち着いた」とも言うのです。結局、暴力団にかかわっている頃は、たえず命じられ、不本意なことを他人にしていくことで、いつも自分が落ち着かなかった訳です。しかし、彼と話していると、まだ弱い姿があるようです。この少年院を出たら、もとの自分の家に帰るわけです。そしたら、また暴力団から誘いの手が来る、そしたらどうするのかと聞きました。しばらく黙っていましたが、絶対に入らないと言います。本当に強い心を持つよう助言したのですが。料理人になりたいとも言っているので、その道で正しく生きるなら、暴力団も誘ってこないから、その道を目指すよう励ましたのでした。
少年達の姿を見ると、親の愛情が感じられる少年は一生懸命立ち直ろうとしています。しかし、面会にも来ない、手紙も寄こさない親の少年は、希望もなく過ごしているようでもあります。少年を立ち直らせるのは執拗な親や身内の愛情といえるでしょう。他の施設(少女苑)の一人の少女が書いた手記を紹介しましょう。
「私は、運動会の中で両親の愛情と大切さを知ることができました。昼食をお父さん、お母さんと一緒にしたことや、『親子どっこい』でお父さんに背負ってもらったり、フォークダンスを一緒に踊ったりしたことでなんだか今までよりお父さんお母さんに近づけたような気がしました。最後に『今日の日はさようなら』の時、こらえていた涙が出てきてしまって、お父さんお母さんの前で泣いてしまいました。お父さんがそばに来てくれて、『泣くことあるもんか』と言ってハンカチを貸してくれました。なつかしい香りがして『一緒に連れて帰って』と叫びたくなりました。」
今日の少年少女の犯罪を聞くにつけ、そこには様々な原因があるにしても、やはり親の愛情を示されます。または取り巻く人々の姿です。一人の存在として尊重してあげることから始まるのではないでしょうか。聖書では主人のもとから逃亡した奴隷のゆえに、パウロという人が主人にとりなしているのが「フィレモンへの手紙」です。

聖書の言葉
「オネシモは特にわたしにとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、一人の人間としても、主を信じる者としても、愛する兄弟であるはずです。」(フィレモンへの手紙16節)