鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主の名を呼び求める人々

 
「わたし、へただったしょう?」と一人の利用者が言いました。さがみ野ホームの礼拝が終わったときでした。彼女はさがみ野ホームに入所する前は、やはりキリスト教の施設にいたので讃美歌を良く知っています。時には私の前で讃美歌を歌ってみせるのでした。礼拝ではいつも一番前に座り、大きな声で讃美歌を歌います。「とても上手だったよ。良く聞こえたし」というとニコッとします。こうして讃美歌と礼拝を深く結び付けている人もいますが、時には献金をささげてくれる人もいるのでした。礼拝でお祈りをささげ、終わると机の上にティッシュで包んだ献金が置かれていることもあるのです。献金ですから中身を言う必要はありませんが、貴い10円でもあります。その献金は大塚平安教会の玄関ホールに会堂建築のための献金箱が置かれていますので、いつもその箱にささげているのです。新しい会堂ができたときには、さがみ野ホームの一人の利用者が礼拝でささげてくれた献金も、建築資金に含まれていることが記念となるでしょう。
礼拝が終わると、皆さんは私が次週も来ることの確認をします。「また、来てね」と言い、なぜか「奥さんによろしくね」という人がいます。会えば「奥さん元気?」と聞くのです。連れ合いは特別集会やイベントには来ているので、利用者もよく知っているのでした。週に一度、毎週金曜日のさがみ野ホームの礼拝が導かれていることを感謝しています。
さがみ野ホームについて、牧師として関わっていることについて記しておきましょう。私が大塚平安教会に赴任したのは1979年9月でした。さがみ野ホームはその一ヶ月前、8月から開園したのです。その8月は、大塚平安教会はまだ無牧でした。前任の乙幡和雄牧師は6月に辞任され、7月と8月は牧師がいなかったのです。さがみ野ホームはキリスト教を土台として設立されましたので、協力牧師が必要でありました。それで8月中は海老名教会の牧師に礼拝を依頼したのでした。9月から私が大塚平安教会に就任しましたので、それからは大塚平安教会の牧師が協力牧師として関わるようになりました。私のさがみ野ホームにおける最初の礼拝が終わったとき、当時の園長であった佐竹正道さんが、さがみ野ホームは大塚平安教会と関係しており、今後は大塚平安教会の牧師が礼拝を担当し、宗教的に関わることを職員の皆さんに宣言されたのでした。それからは毎週金曜日に利用者と職員の礼拝が続けられています。つい最近からですが、今までは利用者と職員とは別々に礼拝をささげていましたが、合同礼拝となっています。利用者の礼拝のときは職員のミーティングが行われており、最近の利用者は高齢化して介助が必要となっています。そのため礼拝の場への介助が必要であり、ミーティングに参加できない不都合が出てきました。そのため合同礼拝をささげるようになったのです。
綾瀬ホームは知的障害者のホームです。比較的若い人達が入所しています。それに対して高齢者の知的障害者施設として設立されたのがさがみ野ホームでありました。しかし、今はどちらとも分けられず、両施設とも若者と高齢者が利用しているのです。
両ホームの利用者の中に大塚平安教会の教会員となっている人がいます。綾瀬ホームの教会員は最近は体の状況があって出席できなくなっています。さがみ野ホームに入所している一人の利用者はいつも礼拝に出席しています。さがみ野ホームは以前は6名の教会員がいました。そのうち4名は天に召されています。利用者の皆さんの信仰に深く教えられています。そして、教会員でないほとんどの両施設の利用者が礼拝をささげ、神様のお心を示されながらの生活を支えたいと願っています。

聖書の言葉
「主の名を呼び求めるものは誰でも救われるのです。」(ローマの信徒への手紙10章13節)