鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

自分を吟味しなさいと示される

 
天城山荘には車で行きました。約2時間半を要しました。天城山荘で思い出すのは、昔はこの山荘で幼稚園の一泊保育をしたのでした。その頃、今は横須賀上町教会の牧師である森田裕明先生が幼稚園の教師でありました。それで私と彼が二台のマイクロバスを運転し、子ども達を天城山荘に連れて行ったのでした。私はその頃40代半ばでした。若かったなあ、とつくづく思います。今回、天城山荘に車で行き来しましたが、もうこれからはあまり遠くの運転はできないだろうと思いました。まもなくシルバーマーク、別名「枯葉マーク」を付けて走らなければなりません。
去る6月9日、幼稚園は創立記念日でお休みでしたが、その日の午後は安全運転講習会があり、半日を費やしました。今回は終わりの5時まで、ちゃんと講習に出ました。出ざざるを得なかったのです。昼食を取ってからの講習であり、会場の席に座るとしばらくは居眠りをしてしまいます。居眠りをするなら、さっさと帰って自分の仕事をしようと思い、何度か帰ってきてしまったことがあるのです。受付をすれば、帰ることができたのです。きっと、そういう悪い人が何人もいるので、主催者側は賢い方法を取りました。受付で出席票を渡し、講習が終わったら受付に置いて帰るのです。講習が終わらなければ、出席票を受理しません。結局、最後まで講習を受けなければなりません。お陰で最後まで講習を受けることができ、随分と勉強させられました。一瞬の油断があってはならないことを知らされました。
車の運転については、今でも思い出してはぞっとすることが数回ありました。一つは宮城県の教会にいたときの思い出です。夏期学校を栗駒山山麓で開催し、ハイキングはさらに上まで行こうということで、私がマイクロバスを運転して出かけました。楽しく遊んでの帰り道、ゆるい下り坂で子ども達がスピードについて話題にしているものですから、調子に乗って時速100キロメートルを瞬間的に出しました。すぐにブレーキを踏み、減速したのですが、ゆるい下り坂であったにしましても、すぐには減速されません。やがて行く手に出発した地点が見えてきました。そこは少し広場であり、道はそこでお終いなのです。力いっぱいブレーキを踏んでいるので、鉄粉の焦げる臭いまでしてきました。ぶつかるかも知れない、そんな思いが頭の中を駆け巡っていました。しかし、ようやく減速が利き、広場に無事に止まりました。若気の至りとは言えない愚かなことでした。もし、車が止まらなかったら大惨事になっていたでしょう。20名以上は乗っていたのです。今でも思い出すと震えが来るのでした。私が36歳頃のことでした。
もう一つの失敗は、今の教会に赴任してからのことです。就任した頃、宮城で使っていた車をそのまま使っていました。その車はディーゼルの乗用車であったのです。所用で東京方面に出かけたとき、バッテリーが上がってしまい、JAFに来てもらいました。もう夕暮れにもなっていました。JAFの担当者はバッテリーは上がっても、ディーゼル車なのでエンジンは動くと言うのです。しかし、バッテリーがないのでライトはつけられないのでした。車幅灯位なら点灯できるのでした。夕闇迫る道路を無灯火で走って帰ってきたのです。大和あたりに来たとき、突然車の前を人が飛びのいていくのが見えました。その人はライトをつけて走っている車が通り過ぎたので道路を渡ろうとしたのです。ところがすぐ後ろに無灯火で走ってきた車に気がつき、急いで飛びのいたのでした。その人が気がつかなかったら、その人を撥ねていたでしょう。42歳頃の出来事でした。今までに二度、人身事故を起こしかけた思い出があり、思い出すたびに辛い思いをするのでした。
天城山荘からの帰り、車を運転しながら、至らなかった自分の姿を反省しました。車を運転する人はよくよく注意しなければなりません。自分の教訓として皆さんに言いたいのです。そんな思いで運転していたので、制限速度をきっちりと守っていました。後ろの車がいらいらしているのが分かりました。バックミラー越しに見ると、かなり後ろがつながっていました。少し違反するか、とアクセルを踏み込んだのでした。
聖書の言葉
「各自で、自分の行いを吟味してみなさい。そうすれば、自分に対してだけは誇れるとしても、他人に対しては誇ることはできないでしょう。」(ガラテヤの信徒への手紙6章4節)