鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神様、何故私は苦しむのですか

 
26日から28日まで伊豆の天城山荘に来ています。キリスト教の研修施設であり、新しく牧師になった人たちのオリエンテーションが開かれています。教団の書記という職務があるので、参加して新任牧師とお交わりをしているのです。27日の午後4時から6時までは自由時間であり、皆さんは温泉に行ったり、浄蓮の滝に行ったりしていますが、私は昨日から書けなかった日記を書くことにしました。26日、27日の日記がないので、私に異変が起きたのではないかとご心配された方があったかも知れません。ご心配いただきありがとうございます。
25日の日記に「あしあと」という詩を紹介しました。一人の方がメールをくださいました。お子さんが病をもっており、代わってあげられるなら代わりたいと述べ、この悲しみと辛い思いが詩に重なり、涙を流して読まれたと記されていました。イエス様にお願いすれば、子どもの病気を治していただけるのでしょうか、とのことでした。
家族の、特に子どもの病気については本当に心が痛みます。実は私達夫婦も悲しい、辛い思いをもって過ごしました。三人の子どもがいます。今はそれぞれ30歳を過ぎています。長女の羊子はスペインにおり、帰国するとピアノのミニコンサートを開いたりして、皆さんにも知っていただいております。三女の百合子は「あなたの健康のお手伝い」とのキャッチフレーズでカイロの整体をしており、結構皆さんに喜ばれています。殆ど登場しないのが次女の星子でありましょう。東京の杉並区に住んでおりますが、月に一度はこちらに帰ります。病院に健診に来るのです。彼女は中学3年生のときに病が発病しました。高校に進学したものの、入学式にも出られず三ヶ月の入院生活を余儀なくされました。親としてかわいそうだと思いましたし、辛い思いでした。入院が決まり、病院に預けて帰りました夜、私の連れ合いは声を出して泣いていました。私はその泣き声を聞いているだけで、何もできず、言葉もかけられませんでした。やがて泣き声が聞かれなくなったとき、連れ合いは泣き疲れて寝入っていました。そっと布団をかけてあげることしかできなかったのです。その後、次女は退院しますが、年月を隔てて一ヶ月、二ヶ月の入院生活を繰り返しました。そして普通の生活に戻ることができました。普通の生活に戻っても、月に一度は健診に来るのです。彼女はその当時、「泣いた赤鬼」と題して証を書き、週報に掲載しました。教会の50周年記念誌にも掲載しています。なぜ、自分だけがこんなに苦しまなければならないか、その気持ちを投げかけつつ歩んだ青春の日々であったのです。彼女は自分なりに自分の人生として受け止め、今は前向きに日々の生活をしていると言えるでしょう。
 自分はなぜこんなに苦しまなければならないか。神様にお願いすれば治るのか。明確な答えを言うことはできません。しかし、この苦しみのときに神様に向かうことができるということです。自ずと、この苦しみを取り去ってくださいと祈るでしょう。治る場合があるでしょう。治らない場合もあるでしょう。痛みがあり、神様にお祈りすれば治るということであれば、人間は永遠に生きるでしょう。しかし、肉の体を持つ人間は、永遠に生きるのではありません。年を重ね、やがて死んでいくのです。そうでなくても若いうちに天に召されていく人もあるのです。祈れば治る、そうではなく祈れば平安が与えられるということなのです。今の苦しみ、悲しみ、辛い状況を主イエス様が共に歩んで下さっているという、力と勇気と平安が与えられるのです。病を持つ愛する子どもが、どんな状況をも受け止め、元気に日々の生活ができるよう祈ることしかできないのです。
聖書の言葉
「だから、わたしたちは落胆しません。たとえわたしたちの『外なる人』は衰えていくとしても、わたしたちの『内なる人』は日々新たにされていきます。」
(コリントの信徒への手紙Ⅱ4章16節)