鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

息を切らしてウサギを追い…

 
月曜日の朝はまずゴミ捨てから始まります。もっともいきなりするわけではありません。朝起きて、洗顔してから机に向かいます。神様、おはようございます、との挨拶としてその日の聖書日課を開き、神様の示しをいただきます。黙祷のうちにお祈りをささげます。それからパソコンを開きます。いくつかの受信メールを読み、心に受け止めるのです。それから自宅や教会のゴミの処理をするのでした。ゴミをもって園庭に出ましたらウサギが小屋から出て走り回っていました。私を見つけるなり走りよってきたのです。子ども達の中で過ごしているので、人間にはなれています。おそらく小屋から脱走したものの、夜のあいだは人間の姿を見ることはなく、朝になって人間が現れたので、思わず近づいてきたのです。ウサギがそばに来たから、捕まえて小屋に入れてやろうとは思いましたが、無駄な努力はすまいと思ったのです。このウサギ、そばには寄ってきますが、捕まえようとすれば巧みに逃げていきます。以前、やはり小屋から脱走していたので、猫にでも襲われるといけないので捕獲作戦を展開しました。土曜日のことで、幼稚園は休みなのです。それで追いかけて捕らえようとしますが、逃げ足が速くて捕まらないのです。一人の老人がウサギを追いかけて、園庭中を走り回っている姿を思い浮かべてください。自分ながら滑稽な状況に笑ってしまいました。そこで、これ以上走り回ると体に良くないので、いつもウサギやニワトリを入れるサークルの端を開けておきました。中には水や餌を入れておいたのです。走り回った老人も喉が渇いて水を飲みに園舎に入り、一息ついてから外に出ましたら、ちゃんとサークルの中にウサギが入っていたのでした。今日もウサギの脱走を認めましたが、無駄な努力はしませんでした。今日は月曜日で休みではありません。やがて幼稚園の教職員が出てきて捕獲すると思ったからです。
脱走して自由な世界で過ごしたい気持ちはわかりますが、小屋の外は自由な世界ではなく、危険な状況でもありましょう。犬はほとんど来ませんが、猫が結構徘徊しているのです。今までもウサギやニワトリ、カメ等が脱走し行方不明になってしまったことが結構あります。飼い主がちゃんと管理しなければならないのです。ウサギ小屋には鍵をかけるように言っているのですが、毎日世話をするので鍵かけは億劫になるのでしょう。年長組さんは先生と共に動物の世話をしています。動物を飼うということは、ちゃんと面倒を見なければならないことを知ることができます。汚いと思う糞尿を清掃する、小屋を洗ってあげる、餌や水を与えてあげる、これらは生き物への必要な世話なのです。子ども達も生き物を見つめながら、動物への責任をいよいよ持ってもらいたいと願っています。
聖書によると人間は動物や植物の管理・世話をする義務があると記しています。神様は人間を造り、「海の魚、空の鳥、家畜、地の獣、地を這うものすべてを支配させよう」(創世記1章26節)と言っているのです。
動物のことを書くといろいろな物語を書きたいのですが、別の日に書きましょう。

聖書の言葉
「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは鳥よりも価値あるものではないか。」(マタイによる福音書6章26節)