鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

お祈りをするということ

 今日は幼稚園の一泊保育が7月13-14日に行われるので、先生達と下見に行きました。箱根ではありますが、保育を終えて午後から出かけましたので、かなりきつい下見でした。一泊保育については開催されたときに記しましょう。
 ところで、きつい下見をして帰りましたのは6時30分くらいです。夜7時30分からは教会の集会、聖書研究・祈祷会が開かれました。毎週水曜日に開いています。夜の集会ですから、日曜日朝の礼拝のようには出席者はありません。いつもは6、7名の出席です。その皆さんで聖書を読み、お祈りをするのです。今日は旧約聖書エレミヤ書48章を皆さんで輪読しました。次週はマルコによる福音書11章を輪読することになっています。毎週、旧約聖書新約聖書を交互に読んでいます。輪読後は牧師が解説を含めて奨励をいたします。その後でお祈りをしますが、その前に牧師が今日祈るべき祈りの課題を示します。まず週報に掲載された教会の活動や報告、消息欄に記されている人、また「教会の歩み」にある祈祷表で、今週お祈りする人のお名前を読み上げます。さらに、「信徒の友」誌に紹介されている祈る教会の紹介をいたします。これらの祈りの課題を示されながら皆さんが一言ずつお祈りするのでした。今日は、特に先日お手紙を下さった東松山教会のためにお祈りしました。同教会は、大塚平安教会の牧師が日本基督教団の書記という重責を担っているということで、送り出している大塚平安教会をお祈りして下さったのでした。私達も東松山教会を覚えてお祈りしたのでした。こうして教会の祈祷会はいろいろな人々や教会を覚えて祈るのです。互いに祈りあい、支えあう姿であるのです。
 お祈りは、もちろん自分の幸せをお祈りするでしょう。しかし、私達が必要なのは他者の存在を覚えて祈ることこそ大切なのです。幼稚園の子ども達は祈りの姿勢をよく知っています。「おいしいケーキをください。かっこいいおもちゃをください、とお祈りしましょうか」と子ども達に聞いた事があります。するとみんな首を振るのです。そういうお祈りはお祈りではないと思っているのです。毎日、先生がクラスの礼拝で、休んでいるお友達、病気や怪我で休んでいるお友達のためにお祈りしているので、お祈りはお友達のためにするものだと思っているのです。そして、そのことはいつもお友達を覚え、祈っていることでもあるのです。お友達を見つめつつ成長する子ども達に神様の豊かな祝福がありますよう。