鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

牧師の土曜日

土曜日は牧師にとって翌日の日曜日の準備の日です。日曜日を主日と言いますが、主日礼拝のために準備をするのです。何よりも礼拝における説教の準備をいたします。聖書に向かい、与えられた聖書の言葉が私たちに何を示しているのか、黙想をいたします。黙想は誰が何を言っているか、注解書がどう説明しているかではなく、私自らが神様のお言葉をどのように示されるかと言うことなのです。私に示されるということは、大塚平安教会の皆さんに示されるということです。説教はただ聖書の解説をするのではなく、現代に生きるメッセージとして示されなければなりません。教会の皆さんの動向、消息、生活を心に留めながら聖書に向かうとき、私たちの教会への聖書の示しが与えられるのです。
土曜日は説教の準備の日です。ところが土曜日にしなければならないことは他にもあるのです。週報を作るとか、印刷物があるとかです。それらのことは教会の皆さんが担ってくれますが、週報のないように関してはどうしても牧師が関わらなければなりません。土曜日はまた、結構集会が開かれます。大塚平安教会の集会ではなく、教区や地区等の集会が開かれます。例えば、6月24日の土曜日は神奈川教区総会が朝から夕まで開かれるのです。そのようなときには、金曜日までに日曜日の準備をしておくのです。
私的においても土曜日に出かけることがあります。なるべく土曜日は静かに過ごしたいと思っていますが、しかし、み言葉は生活の中に与えられるのですから、土曜日に何があっても聖書の示しは与えられるでしょう。
さあ、明日は日曜日です。日曜日は教会の礼拝に出席し、新しい一週間を力強く歩みましょう。