鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<468>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<468>
2018年8月31日「振り返ればお恵みを示され」




聖書の言葉
聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。
新約聖書・テモテへの手紙<二>3章16節)



聖書がまた新しい訳で出版されるという。日本聖書協会が発行するもので、今までの「新共同訳聖書」に対して、「聖書協会共同訳」との名称で発行されるという。発行されるのは2018年12月ということなので、間もなくである。2010年まで日本基督教団の総会書記を担っていたが、その頃、日本聖書協会が新しい聖書を発行するということで、いろいろな提案を教団に持ち込んでいた。基本的な方向を決めるための意見、また委員会の人選等である。そのうち新しい聖書ができるのか、と思っていたが、その後は思いの中になかった。この度、キリスト教書店が新しい聖書の案内書を持ってこられて、今までの準備を示されたのである。そもそも私が小学校3年生から教会学校に通い始めたのであるが、その頃の聖書は文語訳聖書であったと思う。教会学校では、聖書の言葉は全然記憶にない。そして、中学生になった頃に「口語訳聖書」が発行されたのである。1954年であり、私が15歳の時であった。その頃、二番目の姉と結婚した義兄が口語訳新約聖書をプレゼントしてくれたのである。それはまさに新鮮な聖書であった。それからは聖書も口語訳なので読みやすく、熱心に読んだものである。中学生の頃、その新鮮な聖書を声を出して読んでいた。近くで針仕事をしながら聞いていた母が、イエス様の教えはお釈迦様と同じだというのである。母は先祖からの浄土真宗の信仰を持っており、同じような教えのキリスト教には深い理解を示してくれたのである。私はこの口語訳聖書によって信仰が養われ、伝道者への道が開かれたと言ってもよい。
そして新共同訳聖書が発行されたのは1988年であった。プロテスタントカトリックの学者が共同で訳したのであった。最初は馴染めなかったのは、固有名詞が異なっていたからである。イエス様はイエスス様である。もともとカトリック教会はイエズス様であったが、イエスス様に妥協点を見いだす。しかし、それでも馴染めないので、「イエス様」は社会にも通じており、カトリック教会が譲歩して「イエス・キリスト」として訳されるようになる。それにより各教会に浸透されるようになり、口語訳聖書から新共同訳聖書に変えられていくのである。在任していた大塚平安教会でも全面的に新共同訳聖書に切り替えたのであった。口語訳聖書では、今日では不快語が多く含まれていたので、新共同訳聖書が歓迎されたのであった。今回の新しい聖書は、今までの新共同訳聖書に対する問題提起はないので、そう簡単には切り替えられないのではないかと思う。新しい時代には新しい言葉の聖書ということで、「変わらない言葉を、変わりゆく世界に」ということで発行される。実際、ヨハネによる福音書3章に記される「イエスとニコデモ」の部分が、「聖書協会共同訳」として紹介されていた。確かに表現の仕方は少しずつ異なっている。しかし、新共同訳聖書で読んでも、聖書協会共同訳で読んでも、ほとんど同じであるという印象である。前記したように、口語訳聖書は不快語があったので、新共同訳聖書に切り替えたのであるが、今回は切り替える理由が、あまりインパクトがないようである。
聖書は長年読んでいるうちにも、必要なところには棒線が引かれ、書き込みがあり、頁の手垢がついていることで、親しみとなっているのである。新しい聖書と言っても、なかなか変えられないのではないか。教会にしても、備え付けの聖書を置いてあり、それをまた新しい聖書にするのも大変なのである。このように記しているのは、新しい聖書を反対しているのではない。変わりゆく世の中に、かわらない新しい聖書が必要であることは理解している。だから、しばらくは両聖書訳を併用しながら、聖書の神様の御言葉に向かいたいのである。
参考までに聖書を示されておこう。ヨハネによる福音書3章16節の文語訳は、「それ神はその独子を賜ふほどに世を愛し給えり。すべて彼を信ずる者の亡びずして永遠の生命を得ん為なり。」である。口語訳聖書は、「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。」と訳している。そして新共同訳聖書は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と訳している。そして聖書協会共同訳聖書は、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」と訳している。
ほとんど同じようであるが、新共同訳は「独り子」であるのに対し、聖書協会共同訳は「御子」と訳している。「御子」と訳しているのは口語訳聖書も同じである。
文語訳聖書、口語訳聖書、新共同訳聖書、聖書協会共同訳聖書、随分長い人生を歩んでいるようだ。確かに来年で80歳になるのだから。次に新しい聖書が出版されるのは、私が110歳の頃であるが…。




文語訳聖書



口語訳聖書



新共同訳聖書



聖書協会共同訳聖書の案内書