鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<467>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<467>
2018年8月3日「平和を祈りつつ…」



聖書の言葉
実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうして、キリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。
新約聖書・エフェソの信徒への手紙2章14-16節)



今年は猛暑が続いているので、涼しさへの願いが濃い。それと共に豪雨による災害があり、被災された皆さんを祈っているのである。8月になると「平和」の祈りが増すのであるが、その祈りは猛暑の陰になっているのではないかと示されている。日本の戦争中、8月6日には広島に、9日には長崎に原子爆弾が落とされ多くの人々が亡くなっている。もはや戦争ができないと、15日には敗戦を宣言したのであった。今でも戦争の傷跡は残されているが、実際の体験者が少なくなっている。日本が敗戦を宣言したとき、私は6歳であった。そして翌年の4月には小学校1年生になったのである。私自身も悲惨な戦争の体験はない。戦争中、我が家の空の上をアメリカの爆撃機が横浜、東京方面に編隊を組んで飛んでいく様を、今でも心に示されている。そして、横浜方面の空が赤くなっているのを思い出している。私自身の戦争体験が直接にはないので、戦争を知らない人が多くなっているのである。今、世界の状況は、戦争が起きるかもしれないということであり、実際に戦争が行われており、悲惨な状況は現実になっている。
隠退牧師は夏休みと言っても、することもなく、なんとなく過ごしている。教会に在任中は、むしろ夏のイベントがあり、イベントに向かいつつ過ごすうちにも、瞬く間に夏が終わってしまうという印象であった。教会学校の夏期学校が開催される。随分といろいろなところに出かけたものである。最初の青山教会時代は、それまで出かけての夏期学校はなかったので、初めて箱根や山中湖で開催する。参加者も多く、そのことで教会学校も活気を帯びたと思う。その後、東北の宮城の教会に赴任する。やはり、今までは郊外に出かけての夏期学校はなかった。作並にある施設を利用したり、鳴子に出かけたり、栗駒山に出かけたり、夏のイベントは多くの子どもたちが参加したものである。夏期学校に参加しても、通常の教会学校には来ないのであるが、それでも夏になると夏期学校には参加するのである。
大塚平安教会に赴任したのは40歳の頃であった。まだ若い牧師である。こちらでも毎年の夏期学校は一大イベントであった。丹沢、天城、松田等に出かけたが、毎年郊外に出かけるのも大変なので、教会と幼稚園で開催することもあった。その場合にはバーベキューや流しそうめん等の楽しみがある。教会の周辺には銭湯が結構あるので、スーパー銭湯に行ったりしていた。若い頃の夏期学校と言えば、やはり「マオリハーカー」であろう。神学生時代にボーイスカウトの指導者講習会に参加して覚えたのである。ニュージーランドの現地人の踊りとか。東北の教会に在任中、教育委員にも選任され、中学生修養会を開催する。YMCAの施設が会場であり、夜の交わりで「マオリハーカー」を披露したのである。参加した中学生も、変な牧師が踊るので、一緒になって踊ったものである。見ていたYMCAの職員が、「やるじゃん」と褒めてくれたのであった。大塚平安教会においても、夏期学校と言えば「マオリハーカー」なので、参加した子供たちも喜んで踊るのであった。そのうち、教会学校若い女の先生が、酋長の娘になり、イベントが盛り上がったのであった。
夏期学校では主題で学んだことを、実際に形にしていた。ある年の主題は「平和を作りだす」であり、エフェソの信徒への手紙6章10節以下の「悪と戦え」から示されたのであった。「神の武具を身に着けなさい。立って、真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。なお、その上に、信仰を盾として取りなさい。」との御言葉を具体的に取り組んだのであった。「救いの兜」、「霊の剣」との示しもある。これらを実際に武具として作成する。兜を作っては「救い」と記している。胸当ても「正義」と大きな文字で記しているのである。こうしてそれぞれ出来上がった「神の武具」を身に着けて記念写真を写す。この写真を見て、保護者の中には「戦争教育」等と感想を述べた人もいるが、これは心に示される神の武具なのである。その後、子供たちが神の武具で身を固めながら成長してくれるよう祈ったのであった。
夏は暑い、暑いと言いながらも、いろいろと学ぶことが多かったと、昔を思い出しているのである。暑いと言ってないで、家の中で、平和を祈りつつ「マオリハーカー」を踊ってみるか。



1970年 神学校を卒業し、最初の夏期学校。
箱根の施設である。


昔の写真を捜すのは困難であるので、これ一枚にしておこう。
マオリハーカーの写真もどこかにあるのだが。