鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<345>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<345>
2015年6月29日「新しい会堂があたえられ」


聖書の言葉
あなたはペトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。
(マタイによる福音書16章18-19節)


歴史において、祈りつつ取り組んできた大塚平安教会の新会堂が完成し、献堂式が6月28日に開催された。献堂式は午後3時からであり、午前の礼拝説教のお招きをいただいたので、朝8時には家を出発することになる。渋滞を考慮して9時30分には大塚平安教会に着くだろうと思っていたが、9時には着いてしまう。礼拝は10時30分からである。日曜日だから比較的に車が流れていたのである。早く着いたので、新しい会堂をゆっくり見学することができた。車であれば大塚本町の交差点を左に曲がると、歩道橋と共に大塚平安教会の佇まいが目に入る。あの古い建物ながらのどっしりとして教会を見ると、なんとなく安堵の思いを持ったものである。ところが信号を曲がると歩道橋があり、そこには見慣れない教会が建っている。なんとなくこじんまりとした教会であるが、新しい教会の佇まいのお目見得なのである。綾瀬、座間、海老名の境にある大塚平安教会であり、周辺の街並み、商店等の様変わりがあり、新しい大塚平安教会は新しい時代の宣教を担って行くであろう。つい今までの教会との比較、また現教会の取り組み等を論じたくなるのであるが、それは自分の思いにとどめ、今は皆さんと共に新しい教会を喜んでいるのである。
2010年3月に退任して以来、礼拝説教は今回で二度目のお招きである。2013年8月18日にお招きいただいたときは、もちろん今までの会堂であり、懐かしいとの思いで講壇に立ったものである。しかし、今回は大塚平安教会であったとしても、まったく変わった、新しい教会、新しい講壇であり、よその教会に招かれたような思いで講壇に立ったのであった。しかし、会衆の皆さんは、今までの大塚平安教会の教会の皆さんであり、それこそ久しぶりに懐かしい皆さんと共に礼拝をささげたのであった。皆さんは本当にお変わりなく、昔のままだと思う。しかし、お近くでお話しをすると、やはり年月を経ているなあと思う。それは皆さんも私に対して、昔と変わらないと言われつつも、年輪を示されているのであろう。だから近からず、遠からず、適当な距離を置いてお話しするのが良いのである。そんなことを説教の導入としてお話したので、皆さんの笑いとなったのであった。私が説教を担当するので、久しぶりに礼拝に出席される方もあり、今後も続けて出席されることをお祈りしている。
午後3時からの献堂式には約130名の皆さんが出席されたと言われる。婦人会の皆さんが手分けしてお料理を持参され、懐かしい思いでいただいたのであった。新しい会堂で、教会員の皆さんは新たなる思いで教会の歩みに参加されるであろう。実は6月19日のブログは「神様のお名前が置かれるところ」と題して書いているが、そこで示されていることを祝辞でも述べている。その時、新会堂があたえられたので、今までの教会で、書き残しておきたいことがあると記している。そのつもりでいたが、どうもその様な思いで書こうとすると、筆が重くなるのである。どうしても昔と今の比較になってしまうからである。だから今回の献堂式出席の感想も、つい今までの教会の比較になりそうなのである。新しい教会を素直に喜び、祝福することであると示されているのである。
帰りは元教会員の方を車にお乗せして帰ることになった。その方は結婚して、野島に住んでおり、金沢八景教会に転会している。我が家とは比較的近くであるが、なかなかお交わりは困難である。丁度、良い機会であった。いろいろとお話しすることができたからである。追浜にお住いの、大塚平安教会の教会員である小澤八重子さんは六浦谷間の集会の礼拝に、時には出席されている。同じ金沢区には大塚平安教会の教会員の方がおられるが、なかなか機会もなく、お会いできないでいる。献堂式ということで皆さんとお会いすることができ感謝している。今後、めったにお会いする機会がないと思うので、今回の再会を喜びつつ、また温めつつ余生をすごすことにしたい。去る人は日々に疎し…、それでよいのである。



今までの教会。1968年に建設された。



今までの教会内部。1989年に改修している。



新しい教会の佇まい。



新しい教会の内部。聖壇付近。