鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<316>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<316>
2015年3月16日「基本的には同じであり…」


聖書の言葉
ノアは鳩を彼のもとから放して、地の面から水がひいたかどうかを確かめようとした。しかし、鳩は止まる所が見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。更に七日待って、彼は再び鳩を箱舟から放した。鳩は夕方になってノアのもとに帰ってきた。見よ、鳩はくちばしにオリーブの葉をくわえていた。ノアは水が地上からひいたことを知った。彼は更に七日待って、鳩を放した。鳩はもはやノアのもとに帰って来なかった。
(創世記8章8-12節)


 日曜日の夜7時30分から、NHKの「ダーウィンが来た」と言う番組があり、楽しく見ている。しかし、時には動物の殺し合い、生きていくためのハンターは、なんかかわいそうで見ていられない。最近は余り残酷なシーンは放映しないようだ。特に子育ての動物たちの番組は楽しいものである。ニュースであったと思うが、世界中でオオナマズが出没しており、水辺に来ている鳩を一飲みしているのを放映している。なんか鳩がかわいそうだと思う。水の中を岸部に近づくので、鳩は気づかないのである。そのオオナマズがスペインのサラゴサでも出没したと報じられていた。サラゴサは今年の1月3日、4日に訪れている。街に近づくと広い河があり、川越しにピラール教会を見たことが印象に残っている。その河にもオオナマズが出没しているというのである。
 その鳩はどこにもいるものである。バルセロナサグラダ・ファミリアの周辺の公園は鳩の楽園とも思える。冬でも木の実がいっぱい落ちており、食べることには苦労しないようである。カタルーニャ広場にも訪れたことがあるが、そこも広場中に鳩がいるとの印象であった。鳩は平和の象徴なのであるが、あまりたくさんいると鳩被害が起きるのである。駅にしても、建物の上には鳩がおり、時には糞を出すので、洋服や頭に落ち、苦い思いをするのである。駅のホームにも鳩が歩き回っているが、「鳩に餌をあげないでください」との張り紙がある。鳩被害で苦労しているのである。しかし、基本的には鳩はおとなしい鳥なのである。サグラダ・ファミリアの公園にはコトラと言う鳥もいる。緑のきれいな鳥であるが、しかし鳴き声はうるさいと思える。きれいな鳥なのに鳴き声が汚いので、あまり喜ばれない鳥なのだ。それに対して鳩は公園中におり、地面に落ちている木の実を食べている。公園を歩く人はその側を黙って歩いて行くのである。鳩も警戒しないで木の実を食べている。
 バルセロナの鳩も日本の鳩も、基本的には同じである。いつもの散歩は野島を回って来るが、草むらに鳩が結構いる。こちらには木の実はないようであるが、それでも草むらから何かを食べている。雀にあげるためにビスケットを持っているので、鳩にもあげると、何処にいたのか数えきれない鳩が集まって来る。カラスまで来てしまう。カラスが来ると鳩は遠巻きに見ているので、カラスを追い払うのである。その様に毎日ビスケットをもっては散歩に出かけていたが、ついにビスケットが無くなってしまう。実はこのビスケットはマレーシア・クアラルンプールに滞在していたときに買い求めたのであった。結構大きな缶であった。2013年3月からマレーシアに赴いたので、ビスケットの缶は2年間、お楽しみが続いたと言うわけ。いよいよビスケットが無くなってしまったので、ヤマザキナビスコのリッツクラッカーを買い求めたのであった。鳩よりも雀にあげるためである。いつも散歩の途中、コンビニの石垣に腰かけて休むのであるが、必ずと言ってよいくらい雀が寄って来るのである。コンビニは鳥たちの穴場であるようだ。コンビニで食べ物を買っては店先で食べる人がいる。いわゆるパン屑が落ちるというものである。だから辛抱してコンビニの屋根に待機している。そうすると中には物好きな人がいて、ビスケットを砕いて撒いてくれるのである。こんなに良い場所はない。
 鳩、雀、その他にもきれいな鳥が飛び交っている。いつも思うのであるが、平潟湾には多くの船が繫留されており、船の帆柱にカワウという鳥が止まっているのである。じっと止まっている。一体、いつからそこにいるのだろうと思う。一方、カモメにしても、餌を求めて飛び交っているのに、カワウは何もしないで過ごしている。動き周らない方が良いのかもしれない。日々の生活に鳥たちが結構癒しを与えてくれており、基本的には世界中の鳥たちが平和運動をしているのである。



バルセロナサグラダ・ファミリア前の公園にいる鳩。
鳩はどこの国にもいて、基本的には同じである。