鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<314>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<314>
2015年3月11日「揺れ動く大地に生きながら」


聖書の言葉
エスは再び大声で叫び、息を引き取られた。そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出てきて、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。
(マタイによる福音書27章50-53節)


 四回目の3.11を迎える。東日本大震災東北関東大震災、3.11大震災、東日本巨大地震、東北大震災等、いろいろな名称で報じられているが、いまだに困難な状況が続いている。2015年1月9日現在で死者15,889人、重軽傷者6,152人、行方不明者2,594人であると言われている。日本の国が一丸となって救援、復興に力を尽くしているが、仮設住宅に住む人々は24万人とも言われている。この災害で故郷を後にして他の市町村に移り住んだ人も多くおられる。それぞれの歩みが神様の豊かなお導きが与えられるようお祈りしている。
 その日、3月11日、いつものように散歩に出かける。2、3分歩くと市営住宅があるが、そのあたりを歩いていると何やら悲鳴とも、鳴り物が聞こえてくる。地面も揺れているようだ。これは地震であり、それもかなり大きいものであると示される。それで散歩をやめて家に戻ったのである。連れ合いのスミさんが心配していて、携帯電話をかけるところであったという。すぐにテレビをつけたが、まだ被害状況は報道できないようで、しかし、津波の警告が報道されている。東北地方の沿岸から関東に及ぶまで警告のしるしをつけて注意を呼び掛けている。結局、この津波で多くの人々が犠牲になったのである。昔、宮城の陸前古川教会の牧師をしている頃、数回の地震を経験している。一つは宮城県沖地震である。その前にも余震があり、連れ合いのスミさんが子供たちを確認し、三番目の子がいないので、あちこち探す。なんと教会の隣のおもちゃ屋にいたのである。きつく叱られた子供は泣きながら私の書斎にくる。しばらく泣いていたが、そのうち寝てしまう。私は机に向かって執務していたのである。その時、ガタガタと縦揺れの地震が起きる。これは危ないと、寝ている子供を抱きかかえて階段を目指す。書斎は二階であった。階段に来ると、階段が蛇のように曲がりくねって揺れているのである。それでも手すりに捕まりながら降り、ようやく外に脱出したのである。地震がおさまり家の中に入ると、リビングに置いてあるピアノが中央まで移動している。二階に上がってみると、大きな書棚が倒れているのである。そこは子供が泣き寝入りしていた場所であり、間一髪の脱出であったと示されるのである。その時の状況を書き続けると、とめどもないのでやめておくが、地震の恐ろしさを知っているので、3.11の地震で被害を被った皆さんには心からお見舞いを申しあげる。
 実はその年の4月4日からスペイン・バルセロナに赴くことになっていた。娘の羊子がピアノの演奏活動をしているからである。現役在任中は赴くことができなかった。それで2010年10月からはどこの教会にも属さない無任所教師になったので、ようやく念願が果たせると計画したのである。それで連れ合いのスミさんと二番目の娘の星子と共に行くことになっていた。その様な時に大震災が発生し、スペイン行きを躊躇する。復興に立ち上がっているのに、どうしたものかと考え込んでしまう。しかし、折角計画していたことであり、決行したのであった。それによりスペインにおける日本の大震災復興支援の取り組みを示されたのであった。このことは「スペイン滞在記」のブログにも記しているが、再び記しておく。まず、バルセロナ生活が始まって二日目の4月6日には、東北関東大震災被災者救済協力コンサートが学校を会場に開催される。羊子のピアノ演奏と共にトランペット演奏、管弦楽団の演奏等が行われたのである。4月11日は東北関東大震災被災者追悼式がバラ公園と称する場で行われる。日本の総領事が主催し、バラが植樹され、記念碑が建てられたのであった。5月7日にはマドリット日本語で聖書を読む会の皆さんが、東日本大震災義援金チャリティーコンサートを開催する。プロテスタントのインマヌエル教会を会場に開催される。羊子がピアノ演奏、他に声楽、ヴァイオリンの演奏も行われる。そして、5月16日にはバルセロナカタルーニャ音楽堂東北関東大震災救援コンサートが開催される。羊子のピアノ演奏、歌唱、ヴァイオリンの演奏が行われたが、2000人は入場したのであった。この時、総領事官が震災についての報告を長々と行う。どういうわけかマイクがゆらゆらとして定まらなくなる。総領事は、地震の報告をしているので、というので会場の笑いとなったことが忘れられない。
聞けば今年の3.11に対しての復興協力が行われるということであった。外国でも日本の大震災を覚えてくれているが、今は世界各地で大震災があり、戦いの爪痕が残されるようになっている。救済は世界各地が求めているのである。揺れ動く大地に生きる者として、できることは、まずお祈りなのである。



2011年4月6日、東北関東被災者救済協力コンサートが開催され、
羊子がピアノの演奏をする。



2011年4月11日、東北関東大震災被災者追悼式がバラ公園で行われる。



2011年5月7日、マドリッド義援金チャリティーコンサートが開かれる。



震災直後、夜の広場でピアノを演奏して復興に協力する羊子。