鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

バルセロナ滞在記「聖誕の門を仰ぎ見つつ」<12>

バルセロナ滞在記(2014年10月21日〜)<12>
2014年11月1日「今は天にあり…」



 今日は土曜日であるが、ほとんどの店はお休みである。また、会社等もお休みが多い。時々買い物に行くスーパー、カプラボも今日はお休みである。日曜日もほとんどの店はお休みになるので、連休ということである。今日は「聖人の日」として、今は天にある人々を心に示されつつ過ごすのである。2012年の9月10日から11月6日まで、このバルセロナに滞在したとき、「聖人の日」を体験している。10月31日にラス・ルーナスの高級老人ホームが羊子のコンサートを開いてくれた。単にコンサートを開いたのではなく、「聖人の日」の前夜祭として開かれたのである。コンサート後は軽食をいただくが、蒸かしたサツマイモ、松の実のお菓子等を食べるのである。一般的にはその様にして「聖人の日」を過ごすのであるが、教会ではミサが行われる。そのため羊子はサグラダ・ファミリアとパロキアの教会でミサの奏楽を行う。サグラダ・ファミリアのミサは午前9時からであるので出かけて行った。そしてパロキアのミサは12時からであり、スミさんも一緒に行く。私は行かないことにした。ミサに出席して、だいたいは分かるが、やはり言葉がわからないからである。
 日本基督教団は11月の第一日曜日を「聖徒の日」(永眠者記念日)としている。前任の大塚平安教会は「召天者記念礼拝」としていた。天に召された教会員の写真を飾り、信仰に生きる祝福を示されるのである。私が在任していた頃も、写真立てがいっぱいで、写真を並べるのに苦労していた。今はどのようにしているか。この写真立ては渡辺魁さんが制作してくださったものである。私が赴任した頃は写真立てなるものはなかった。それほど召天者がおられなかったのである。北村健司牧師、北村アイさん、笠間カツさん、近藤義一さん、近藤よしこさんくらいであった。ところが私が赴任してからは、まず笠倉正道君から始まり、30年間で30人の皆さんが天に召されたのである。それで当初は、この召天者記念礼拝になると、木材を組み合わせて一時的な写真立てを作るのである。その様な簡易写真立てであったが、渡辺さんが鉄骨で作ってくださったのである。収納場所がないので、通常は礼拝堂の外においていた。だから召天者記念礼拝では汚れを掃除しなければならない。そして皆さんの写真を飾っていたのである。写真を飾るのは天に召された教会員であるが、中には教会員ではない家族の写真を飾る方がおられる。そのため写真立てがいっぱいになっているのである。
 大塚平安教会では召天者記念礼拝が終わると、午後からは墓前礼拝をささげていた。車でも30分くらいの場所に厚木霊園があり、そこに教会墓地を設置したのである。この墓地にしても思い出が深い。1979年に大塚平安教会に就任したとき、教会墓地は川崎市生田にある春秋苑の中にあった。それも墓地を得ていたが、墓石は造られてなかったのである。土地だけであり、そこに北村健司牧師夫妻と綾瀬ホームの二人の利用者が埋葬されていたのである。この春秋苑まで教会から車で1時間はかかる。なかなか墓地の形にしなかったのは、やはり遠いこと、そして墓地が三角地帯と言う変形であったことなどが理由であったようだ。それで私が就任してまもなく、墓地を見直すために墓地建設委員会が設置され検討が始まる。ほどなくして厚木霊園の墓地を取得することができたのである。そして墓地の設計については牧師に一任されたので、知恵を絞って建設されたのが現在の墓地なのである。このあたりの経過は大塚平安教会50周年記念誌に記している。
 スペインにおける「聖人の日」にあたり、大塚平安教会時代を思いだし、思わず記してしまった。今までもいろいろな形で墓地について記している。この歳になると、やはり自分の墓地を考えるのである。このことについてもどこかで記しているが、やはり私の埋葬は大塚平安教会の墓地であって欲しいと思っている。鈴木家の墓地があるが、将来的には無縁墓地になるのである。私の存在をいつまでも皆さんに覚えられる必要はないが、歴史上の人物として覚えていただければ嬉しいのではないか。墓前礼拝では墓誌に刻まれた召天者を読み上げていた。北村健司牧師とはお会いしたこともなく、歴史上の存在として示されていた。そして、墓地でお名前を読み上げるとき、改めて先生のお働きを示されていたのである。
 毎年、日本基督教団年金局から受給者名簿が送られて来る。あるいは出身の日本聖書神学校から名簿が送られて来る。名簿を見ると私と同じような年代の皆さんが天に召されているのである。教団新報が送られて来るが、まず見るのは消息欄の逝去者報告である。親しくお交わりした人、活躍を受け止めていた人など、今は天におられることを示されるのである。どこの国でも「聖人の日」、「聖徒の日」があることの意味を重く示されている。



サグラダ・ファミリアの小礼拝堂の横にあるガウディ墓。




松の実のお菓子を食べながら楽しく歓談。



蒸かしたサツマイモを食べる。



聖人の日に食べるいろいろなお菓子。