鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<177>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<177>
2013年8月29日「信仰の世界を垣間見る 2」


聖書の言葉
まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
ヨハネによる福音書4章23-24節)



 「イスラム教を開いたのはマホメットである」くらいのことしか理解がなかった。その創始者と現在のイスラム教との関わりについても全く理解を持っていない。誠に恥ずかしい話だ。まず、前回も触れたように「イスラム教」と言うのは狭い意味であり、「イスラーム」と言わなければならない。もともとアラビア語では「イスラーム」であったが、ヨーロッパの言語、英語やフランス語ではIslamと訳してしまい、アラビア語の長音記号を省いてしまう。ヨーロッパの言語から「イスラム」と日本語化してしまったのである。従って、原語通り「イスラーム」と称することが正しいのである。それでは「イスラーム教」かと言えば、間違いではないが、「イスラーム」は宗教的な個人の救済が目的でもあるが、「イスラーム」には社会、政治、経済もすべて含まれている。すなわち「イスラーム」は共同体なのである。そのイスラーム共同体を「ウンマ」と称しているのである。
 「マホメット」と称するのも間違いである。正式には預言者ムハンマドである。生誕は不明であるが、570年頃に生まれ、632年6月8日に没したと言われる。610年頃にムハンマドはマッカ(西洋人がメッカと称していたが、正式な呼称にしている)の郊外で天使ジブリールから神の啓示を与えられ、伝道を開始するのである。この天使ジブリールキリスト教では天使ガブリエルであるから面白い。ガブリエルはバプテスマのヨハネの父ザカリアに現れ、更にマリアに現れて神様の御心を伝えたのである。そのガブリエルがムハンマドにも現れて、神の啓示を与えたのである。それが7世紀であり、ここからイスラームが始まる。キリスト教イエス・キリストの生誕をもって西暦が始まるのであるが、キリスト教として制度化するのは2世紀頃である。イスラームの世界はムハンマドが最後の預言者と言われる。預言者と言えば、イスラームではアダムやノアと言う神話の世界の人々も預言者としている。そしてモーセダビデ、イエスと続き、ムハンマドは最後の預言者として信じる。ムハンマド預言者であり、キリスト教イエス・キリストを神とすることを認めないのである。あくまでもイエス預言者なのである。神の啓示を受けてムハンマドコーランにまとめるが、神の啓示をいただいているのは旧約聖書の律法であり、詩編も啓示の書としている。更に新約聖書福音書も啓示の書であり、これらを「啓典」として重んじているのであるが、中でもムハンマドコーランが中心なのである。コーラン岩波文庫版三巻が出版されている。
 このようにイスラームキリスト教ユダヤ教は共通点が多い。共通点は何と言っても「神」である。ユダヤ教では「唯一なる神=主」はヤハウエとの名をもっている。その神をキリスト教で「父なる神」として信じている。それに対してイスラームは「アッラー」と称している。「アッラーの神」と言うのは誤りである。「アッラー」は「神」なのであり、名前ではない。いずれにしても唯一なる絶対的存在である神を信じていることにおいてはユダヤ教キリスト教イスラーム教も同じなのである。
 イスラームは前記したように社会、政治、経済すべてを視野に入れたウンマイスラーム共同体)である。だからイスラームを広めると言うことはウンマを拡大することなのである。ムハンマドは次第にウンマを広げて行くのである。従って、ムハンマドは宗教家であると同時に政治家であり、軍事指導者でもあったのである。イスラームの最初からウンマの拡大であるから、ヨーロッパ、アジアへとウンマを広げて行ったと言える。キリスト教は世界の中で20億人であるが、イスラーム教徒は15億人を超えると言われる。いずれはキリスト教を抜くのではないかとも言われている。
 教義については次回に触れるが、イスラームの芸術には感嘆する。その細やかな表現、デザインはつくづく魅せられるのである。マレーシア滞在中、残念ながらモスクを見学できなかったが、遠くから見るモスクのたたずまいは、芸術のたたずまいとして示されていた。スペイン滞在中も、昔はイスラームに支配されていたので、その名残、イスラームの芸術をあちらこちらに見るのであった。私達にとってはアラビア語は曲がりくねった不思議な字体であるが、よく見れば芸術的文字なのである。文字だけの芸術版もある。



アラビア語で「イスラーム」と書かれている。
イスラームのとらえ方」よりコピーさせていただく。



クアラルンプールにあるモスク。



バルセロナの闘牛場。今は行われない。
イスラームの芸術の名残がある。