鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<171>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<171>
2013年8月15日「平和を祈るこの時に 3」


聖書の言葉
平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。
(マタイによる福音書5章9節)



 今日は8月15日である。終戦記念日であり、思いを新たにして平和を祈る日である。8月6日に広島に、9日に長崎に原子爆弾が落とされ、多くの犠牲者が貴い命を失う。その記念式典には小学生が平和の決意を述べ、新しい世界は平和でなければならないことを訴えていた。次代を担う子供達が、ぜひ平和を作りだす人々になってもらいたい。15日を迎えるにあたり、報道関係は「戦争と平和」をテーマとしている。平和を祈るのは地球上に生きる人々の願いなのである。その平和を願うあまり、争いが繰り返されていることは誠に痛ましい限りである。聖書に示されている通り、キリストを基とした平和が実現しなければならないのである。
 「平和を祈るこの時に」と題して記してきたが、もう一頁付け加えておこう。戦争中、学童疎開を余儀なくさせられた子供達、我が家では小学校6年生の姉・朝子と3年生の兄・光政であるが、三ヶ月間親と離れ、家族と別れ別れに過ごした学童疎開で、交わした手紙が姉の朝子が保管しており、姉の召天と共に遺品から出てくる。それらの手紙をこのブログで紹介したが、8月15日の日本の敗戦以降に家族から二人の姉弟に送った手紙を紹介しておこう。二人の手紙は8月4日以降のものは残されていない。


1945年8月30日の後、日付不明


朝ちゃんへ
朝ちゃん、お手紙ありがたう。家中皆元氣ですから御安心下さい。清ちゃんは毎日元氣で母ちゃんのお手傳いをして居ます。光ちゃんの耳が悪いとの事、どんなですか。30日にアメリカ軍が横須賀へ上陸しました。アメリカ軍が上陸しても何もしませんから御安心下さい。アメリカの飛行機が朝早くから飛んで居ます。昨日などとてもたくさん飛びました。B29がへんたいで10機、11機ぐらいで並んで飛んでました。家のカボチャもたくさん取りました。朝ちゃん達が歸って来る日を楽しみに待って居ります。その日まではガンバッテ下さい。それでは又、さようなら。
清ちゃんより。


朝子様へ
朝ちゃん。お手紙ありがとう。家ではみんな元氣で居りますから御安心下さい。今工場はどこでも解散となり、美喜ちゃんも今家で去年と同じやうに仕事をして居ります。朝ちゃん達もラジオで聞いたでせうが、戦争終結となり、止める事となりました。30日に横須賀へ米軍が上陸して来ました。追浜航空隊にも来ました。でも心配はいりません。上陸しても悪い事はしませんから大丈夫です。ただ日本が又戦争するかと思って見に来たのですから安心して下さい。お前達もすぐに歸れる事と思ひます。それまでがんばって下さい。命令があればすぐ歸れるます。そして又家から大道国民學校で勉強出来ます。日本はドイツのやうに負けたのではありませんから、ドイツのようになりません。昔のやうな平和な時が来るでせう。では元氣で、光政の耳がなほるやうお祈りして居ります。それから光政の耳が悪かったら迎えに行きます。さやうなら。
美喜子より。


昭和20年9月1日
朝子様、光政様
お手紙有がとう。朝子も光政も元氣でがんばって勉強して居る事、私を始め皆が安心しました。先生様よりお話が有った事と思ひますが、有れほど日本國民と兵隊さんが頑張った戦争も原子爆弾ソ連の参戦で日本人が大勢戦死したり爆弾で死ぬので天皇陛下がご心配に成り國民を憐れみ賜ひて戦争を止める事になったので有る。天皇陛下の命令で戦争を止めて、米英と停戦協定すると成ったので米英に爆弾される事は無く成った。お前達も近い内に家に歸る事と成ります。又大道學校で勉強する事に成りますから其れ迄頑張って下さい。横浜や横須賀に米兵が参りましたが少しも心配が有りません。これからは仲好く交際して行くのです。父は田舎へ行って十日泊まって8月26日家に帰りました。お米や粉を貰って来ました。お前達の歸るのを待って居ますが命令が有る迄は頑張って居て下さい。こちらは米兵が来ても静かに毎日生活を致して居ます。工場は定時間と休みと有ります。光政の耳のおできが早く治る様に願います。又此次にお便りします。さよなら。
父より、母より。


 我が家では両親、長姉の美喜子、光政の写真を飾っているが、新たに姉・朝子の写真を飾る。家族の写真を見るごとに、戦争中から今日までの鈴木家の歴史を示されるのである。これらの写真の家族は、「平和に生きなければ」と語りかけているようである。



小学校4年生で召天した兄・光政。
戦争の証言者である。



さる4月、79歳で召天した姉・朝子。
戦争中の家族との手紙を保管してくれていた。