鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <105>

 
隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<105>
2012年6月1日 「続ける限界をもちながら」
 

聖書の言葉
また、レビの系統の祭司たちの場合には、死というものがあるので、務めをいつまでも続けることができず、多くの人たちが祭司に任命されました。しかし、イエスは永遠に生きているので、変わることのない祭司職を持っておられるのです。それでまた、この方は常に生きていて、人々のために執り成しておられるので、御自分を通して神に近づく人たちを、完全に救うことがおできになります。
ヘブライ人への手紙7章23-25節)


 
日本基督教団の隠退教師になったのは2011年6月1日からである。本日で丁度一年と言うことになる。丁度一年経たからと言って、ことさら言うこともないのであるが、隠退しても相変わらず御言葉に向かって説教を作成しているし、六浦谷間の集会を開いて礼拝をささげている。週報だって発行しているのである。毎月、第二日曜日には横須賀上町教会の礼拝説教、聖餐式を担当している。おまけに昨日のブログにも記したが説教集を自作出版しようとしているのである。現役時代の職務と少しも変わらない。隠退教師になるというのは、年齢が増し加わり、牧師としての職務を担うことが困難になるということで、牧師を退任するのである。しかし、隠退してもなお御言葉に向かい、定期的に教会の講壇に立っているので、隠退の思いが薄れていることは確かである。それならそれで無任所教師であるべきである。無任所教師はどこの教会にも所属しないが、しかし隠退はしていない場合である。それでも良いのであるが、現実的なことになるが、無任所教師では年金が支給されないのである。だから多くの場合、年齢が増し、教会を退任すれば隠退教師になるのである。
 映画監督の新藤兼人さんが5月29日、老衰のため逝去された。100歳であった。「原爆の子」「裸の島」など社会性あふれる作品を数多く生み、日本最年長の現役映画監督である。映画を制作中に亡くなったのであり、現役のまま、隠退の身分にならないまま、働きつつ人生を終えた新藤兼人さんを尊敬する。新藤さんを示されながら、日本基督教団には隠退制度があることに疑問をもつのである。まだ、職務を担うことができるのに、年齢が増し、どこの教会にも所属しないということで隠退の身分にする。せっかくの賜物を沈めてしまっているのではないかと思う。隠退という身分にしないで、無任所教師の身分で良いのではないか。そして年金については年齢に従って支給したらよいと思う。この世の年金は職務についていても、基準の年齢に達すれば支給されるのである。
 伝道者は神様から召命をいただき、献身して、生涯伝道者の道を歩むのである。この世の人生が終わるまで伝道者であり続ける。牧師を退任したら信徒に戻るのか。本人が希望すれば信徒籍になるが、多くの場合、牧師を退任しても教師のままである。だから隠退教師と称するのである。しかし隠退と称する以上、現役から退くことであり、伝道者としての職務から退いている印象になる。本人達が現役のつもりでも、日本基督教団の身分がそうさせないようである。だから、生涯現役伝道者に対して、隠退という身分は無くしたら良いと思うのである。教会の牧師を退任したら、その後は無任所教師として、生涯現役伝道者として召命に応えて生きるのである。それが召命ということであり、献身ということではないか。これは神様と召命をいただいた者との関係であり、それに対して「隠退」という身分を与え、神様との関係を人間によって絶ってしまうのはいかがなものであろうかと思っている。
 このブログは隠退した2011年6月1日から書いているように思えるが、その日をもって隠退したのであり、「隠退牧師の徒然記」は2011年10月1日から書き始めている。2010年9月25日から、無任所教師としての日記を書き、2011年4月1日をもって終了する。4月4日から5月18日までスペイン・バルセロナに赴いたからである。そして、帰国して6月1日からは「スペイン滞在記」を公開する。70日間公開したが8月になって終了したのである。だから、6月1日から隠退教師になって、その立場でブログを書くつもりでいたが、「スペイン滞在記」を公開したので、10月1日から「隠退牧師の徒然記」として公開するようになった。隠退してから一年を経ても、このブログはまだ一年にならない。だから、もうそろそろ終わりにしょうかと思っているのであるが、もう少し続けることにしょう。キリスト教界のことを色々と記しておくことは、これは、生涯現役伝道者としての責任と思えるので。