鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <79>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<79>
2012年4月2日 「50回目の礼拝」
 

聖書の言葉
わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。
ヨハネによる福音書4章21-24節)


 
 いよいよ4月となり、春の息吹を感じながら歩むようになっている。昨日の4月1日の礼拝は棕櫚の主日であり、受難週に入る。主の十字架の救いを深く示される礼拝である。イエス様がエルサレムに入られたとき、人々は歓呼してイエス様を迎えている。ヨハネによる福音によると、人々は「ホサナ。主の名によって来られる方に、祝福があるように、イスラエルの王に」と言いつつイエス様のエルサレム入場を歓迎している。「ホサナ」というのはへブル語で、「今、救い給え」との意味である。まさに「救い」を与えるイエス様として迎えているのである。
 従って、棕櫚の主日は喜びの日なのである。ところが、日本の教会は、多くの場合、この日から受難週に入るということで、喜びは薄れていると思われる。むしろイエス様のご受難を偲ぶことに重きが置かれているのである。昨年、4月5月にスペイン・バルセロナで過ごした。娘の羊子が11年前にバルセロナに渡り、ピアノの演奏活動をしているので、娘を訪問するために連れ合いのスミさんと次女の星子と共に行くことになった。その時期に棕櫚の主日を迎えたのである。次の日曜日が棕櫚の主日である週に、サグラダ・ファミリアの近くの通りに露天商が出ていた。教会に持っていくために棕櫚の枝、これは作られたものであるが、それぞれの店で売っている。そればかりではなく、色々なお菓子も売っている。いわばお祭り騒ぎのようである。そして、迎えた棕櫚の主日は、羊子はカトリック教会に出席して奏楽の奉仕をしているので、そちらのミサに出席する機会を得た。子供達が露天商が売っていた棕櫚の枝を持参し、神父さんと共にイエス様のエルサレム入城を歓迎するセレモニーを行うのである。そして子供たちも聖壇に上がり、棕櫚の主日を喜んでいたのである。棕櫚の主日の迎え方をつくづく考えさせられたのである。まさに棕櫚の主日は喜びの日なのである。人々が「ホサナ」と叫び、「今、救い給え」と叫んだように、喜びつつこの日を迎えるべきなのである。そして、歓呼して迎えながら、同じ口を持って「十字架につけよ」と叫ぶ心の変化を受け止め、これが自らの姿であることを悔い改めなければならないのである。喜びが大きければ、悔い改めも深く導かれるのである。これらのことは昨日の説教でも触れている。



バルセロナで、棕櫚の枝を売る露天商。



カトリック教会で、棕櫚の枝をもってイエス様を迎える子供達。




 六浦谷間の集会の礼拝も棕櫚の主日礼拝をささげた。礼拝を開始してから昨日の礼拝で50回目の礼拝である。2010年11月28日より連れ合いのスミさんと二人だけで始めた礼拝であり、昨年2011年11月27日の礼拝は、礼拝を始めて一周年であるとして、11月28日のブログで神様の導きを感謝している。一周年であっても36回目の礼拝であった。一周年であれば50回は礼拝を捧げていることになるが、昨年4月5月はスペイン・バルセロナに赴いたので、六浦谷間の集会の礼拝ができなかったのである。棕櫚の主日をもって礼拝開始50回目になる意義を示されている。
 50回目だから皆さんが礼拝に出席したのではないが、この日は10名の出席であり、もっとも多い出席者になった。娘の羊子が、この二週間、一時帰国しているので、礼拝出席を兼ねて羊子に会いに来てくださったのである。狭いところであるが、こんなに多くの皆さんと共に50回目の礼拝を捧げることができ、感謝をささげたのであった。礼拝後は羊子の手料理、スペイン料理をいただく。まず、パエリァである。スペインではエビの大きな爪がついたまま料理されているが、日本では爪のついたエビは売っていない、みんな頭がないエビなのである。パプリカにしても日本のそれは三分の一くらいの大きさで、スペインのような豪快なパエリャができないので、極めて日本的になる。それでも皆さん喜んで食べてくださった。その他、トルティーリャというスペイン風オムレツ、レンズ豆の煮込み等も喜んでくださった。その後、羊子のピアノ演奏や私達のスペイン滞在写真を見ながら歓談したのであった。