鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <27>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<27>
2011年11月30日 「なぐさめぐさ(慰種)」 


聖書の言葉
エスは言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。」
(マルコによる福音書11章2節)



我が家の家族の一員としての存在であったリスのシュータが死んだ。11月24日午後5時20分である。最近、やせ細って来たので、動物病院で診てもらい、薬を与えたりしていた。それでも籠の中で結構走り回っていたりもしていた。23日は大塚平安教会のバザーで、連れ合いのスミさんは思案していたが、結局出かけることになった。バザーでは皆さんと楽しく過ごし、その後は親しくしている友達の家に泊めてもらう。「シュータのこと、よろしくね」と言いつつ出かけて行ったのである。スミさんのご指示のとおり、湯たんぽにお湯を注ぎ、駕籠の中を温かくする。シュータは歯が伸びて、かたいものが食べられないので、柔らかいもの与える。このリスはお豆腐、麺類を喜んで食べるのである。そんな面倒であるが、スミさんが留守の間にしておいたのである。





一緒に食事をするシュータ。



24日になって、朝のうちは姿を見せていたが、後は潜り込んで出て来ない。それでも時々、水を飲みに出てくるようである。スミさんは夕方帰って来た。百合子が綾瀬市から六浦の家まで車で送ってくれた。すぐにシュータを抱いていたが、明らかに弱っていた。もう危ないのではないかと百合子も言う。もはや病院に連れて行くのではなく、このまま静かに見守ることにしたのである。百合子は午後5時頃には帰って行った。私もその時間に散歩に出たのである。しばらく歩いていると百合子から電話があり、シュータが死んでしまったので、早く帰ってあげて、と連絡してきた。家に入るとスミさんはシュータを両手のひらに入れて悲しみにくれていた。スミさんが帰って来るのを待っているかのように、リスのシュータは死んだのである。以前、犬のチェリーを飼っていたが、老衰で動けなくなり、箱の中で苦しい呼吸であった。その日はスミさんが朝から出かけていたのであるが、帰って来たスミさんの顔を見たチェリーは大きく息を吸い、静かに目を閉じた。スミさんの顔を見て安心したのだろう。リスのシュータも同じようにスミさんの顔を見て、安心して眠りについたのであった。百合子たちも国道一号線原宿辺まで行っていたが戻って来た。そして、庭の一角に埋葬したのであった。そこには百合子たちが飼っていた亀も埋葬されている。



ソファーでくつろぐ。2011年3月11日撮影。



シュータの好きな居場所。いつの間にかもぐって寝ている。


 我が家の一員になってから5年8ヶ月である。その時、私は大腸のポリープ手術で三日間入院していた。家に帰ったらリスがいたのである。生後一ヶ月のリスであり、人間の手に抱かれても逃げようとしない。スミさんがいつも手のひらの中に入れては可愛がっていたので、すっかり人間になついている。家の中で離しても、あちらこちら駆けずり回るが、結局は人間に寄ってくる。スミさんの足元から駆け上がり、肩や頭に上ったりする。籠以外には兎のぬいぐるみ等が置いてある場が好きで、離してあげると、しばらく遊んだ後は兎のぬいぐるみ等の中にもぐり込むのである。老夫婦にとっては、小さなリスではあるが慰めであり、特に連れ合いのスミさんはいつもリスに話しかけ、私より会話が多いのである



もっとも最近の写真。2011年10月27日撮影。



こんな形で牛乳を飲んだりして。


 散歩をしていると、犬の散歩をしている人たちと会うことが多い。小型犬を多く見るが、中には大型犬も見る。ペットを飼う人が多く、多くの場合、家の中で一緒に生活している。家族の一員になっているのであろう。だから、家族の一員でもあり、健康に気をつけている。具合が悪くなれば動物病院に連れて行く。我が家のシュータも具合が悪くなってきたので、何回か連れて行った。そこの動物病院は評判が良く、いつ行っても車が並んでいる。犬猫専用が多いが、この病院はどんな動物でも診てくれる。この病院ではないが、蛇まで診てくれる所があると言う。蛇をペットとして飼う、考えられない。動物たちは、小さな動物たちも含めて人間の友達であり、人間に協力し、慰めを与えてくれる存在なのである。イエス様が子ろばを用いたように。
 今年も年賀はがきを書く時期になったが、この時、喪中の挨拶状もいただいている。そうか、今年は我が家も喪中なのかな。