鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<174>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<174>
2013年8月21日「歴史を基としながら 2 」


聖書の言葉
彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。
(創世記28章12節)
はっきり言っておく。天が開け、神の天使たちが人の子の上に昇り降りするのを、あなたがたは見ることになる。
ヨハネによる福音書1章51節)
以上の聖書の言葉は、現在の大塚平安教会講壇の基となる言葉である。



 大塚平安教会の講壇に立ったとき、30年間、この講壇で御言葉を取り次いできたことに思いを馳せる。もっとも、「この講壇」というが、この講壇は1989年に創立40周年記念を迎えた時に改修したものである。大塚平安教会の建て物は1968年に建設されているので、21年間は建てられた時からの講壇であり、改修してからの24年間が現在の講壇なのである。両方の講壇が心に示されている。1979年9月に就任しているので、最初の講壇では10年間、御言葉を取り次ぎ、改修後の講壇では20年間である。
 建設時からの講壇は左右に小部屋があった。おそらく向かって左の小部屋は牧師の控室であろう。右側は事務室かもしれない。しかし、就任して以来、その小部屋は使用したことがない。小さいオルガンが多数置かれていて、いわば物置になっていたのである。いつの頃からか定かではないが、教会はヤマハ音楽教室として礼拝堂を貸していたのである。毎日ではないが、週に数回の音楽教室があるので、その頃はかなりの生徒がいたと思う。従って、教会は週日でも人の出入りが多かったのである。



1968年に建てられた教会の内部。



 1968年に建設された教会であるが、1979年に私が就任した頃、既に新しい会堂建築についての話題が出ていたのである。しかし、建設されてからまだ歴史が浅いし、本格的に取り組んでいたわけではない。教会員、礼拝出席者が増えてくることで、色々な要望が聞かれるようになっていた。たとえば厨房を広くするとか、集会室や事務室が欲しいとか、注文が多くなってくる。事務室がないことは今に至っており、礼拝後、会計担当者が牧師室で作業をしている。1989年の創立40周年を迎えた時、新しい会堂建築を協議するようになる。しかし、土地の問題等が複雑に絡み合っている中で、建て替えるのではなく改修することにしたのである。それにより講壇も改修される。講壇左右の小部屋は撤去する。ヤマハ音楽教室は幼稚園で行うようにしたのである。礼拝堂と集会室は壁で仕切られていたが、引き戸で区切るようにした。戸を開ければ礼拝堂とワンフロアーになるのである。礼拝堂出入り口は玄関・受付から出入りすることと厨房への出入り口の二箇所だけであった。それに対して改修後は講壇に直接上がれる出入り口、道路側に避難出口、更に後ろの出入り口の左右に小さい出入り口を設置したのである。何所からも礼拝堂に出入りできるようにしたのである。改修会堂については50周年記念誌に報告している。
 改修の講壇については、今までのブログで二度、三度触れているので、今回は割愛しておく。しかし、この講壇、また会堂内のそれぞれのたたずまいは、間もなく消えてゆくことになっている。私の在任中から新会堂建築委員会を発足させて、調査・研究してきている。予備設計を依頼した人にも説明をしてもらっていた。2010年3月に退任したが、建築計画は引き続き進められていたのである。どうやら複雑な土地の問題も解決されたようで、来年には建設が始まるようである。来年のクリスマスには新しい教会になっているだろう。
 今回、大塚平安教会が創立記念日礼拝の説教者としてお招きくださり、心から感謝している。この講壇で説教するのは最後になるであろう。色々な思いをもちながら講壇に上がり、御言葉を取り次がせていただいたのである。



2013年8月18日の礼拝。会衆の皆さん。



礼拝の終わりに祝祷をする。