鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<317>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<317>
2015年3月24日「いろいろな取り組みを」


聖書の言葉
ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さず、正しくお裁きになる方にお任せになりました。そして、十字架にかかって、自らその身にわたしたちの罪を担ってくださいました。わたしたちが、罪に対して死んで、義によって生きるようになるためです。
(ペトロの手紙<一>2章23-24節)


 2010年3月末までドレーパー記念幼稚園の園長を30年間担っていた。そのドレーパー記念幼稚園は毎年3月21日の春分の日には同窓会を開いている。当日の午前は小学校を卒業する子供たち、午後は中学校を卒業する子供たちである。当日は連れ合いのスミさんと車で向かう。懐かしい街並みを見ながら、駐車場に停め、幼稚園の門を入る。幼稚園の門は大谷石で作られているが、結構破損が目立つ様になっていたが、「おやじ組」の皆さんが化粧直しをしてくれて、破損の現状は見られない。「おやじ組」の皆さんは幼稚園の営繕を担い、子供たちの楽しいイベントを開いてくれたりしている。この「おやじ組」は私の在任中に結成されているが、今の佐竹和平園長が結成を導いてくれたのである。佐竹和平園長は、園長に就任する前から、何かと新しい取り組みを担ってくれている。ネットで幼稚園を紹介するようになるのも彼の尽力である。何よりも私がブログを公開するようになるのも彼の御蔭なのである。若い力が今の幼稚園を担っていることをつくづくと示されながら同窓会の会場に入っていったのである。
この同窓会は、私が30年間園長を担ったが、それ以前から行われていたのである。前任は乙幡和雄先生の時代であり、その時代から同窓会が開かれていた。その取り組みが今でも続けられていることを喜んでいる。この時、自分の取り組みを記すことはないが、後世のために記しておくことも必要であると思う。いろいろな取り組みの中でも、私が就任してから始められている場合が結構ある。一つは、毎年2月頃になると、卒業する子供たちとお弁当を食べることである。5、6人ずつ園長とお弁当を食べるのである。子供たちとお弁当を食べるようになったとき、園長室はなく、教会の牧師室で食べていた。しかし、牧師室はいろいろなものが置かれており、園児たちはそちらに興味があり、在園中のことなどを話したいのであるができないのである。それで教会の集会室でお弁当食べるようになる。その後、幼稚園の建物の増改築を行い、園長室を設置したので、ここで食べるようになる。しかし、園長室はそれ程広くもなく、いろいろなOA機器等を入れるので会食が困難になる。それで再び教会の集会室を使うようになった。この園長とのお弁当は、知人の牧師園長のお話しがヒントになって始めるようになった。その幼稚園はお弁当を食べるのではなく、子供たちをお茶に招待するということであった。やはり5、6人ずつ子供たちを園長室に招き、クッキーと飲み物で歓談するのだという。招待状まで出すので、晴れ着を着て出席するのだという。そういう取り組みが参考になってお弁当を食べるようになった。当園では招待状は渡さないので、保護者は知らない。今日は園長先生とお弁当を食べたと子供が報告するので、「分っていれば」と言い訳をするお母さんも。
 私の在任中に始められたことで、他には文集「ぶどうの木」の発行がある。毎年、3月に発行しているが、在園生の保護者にお子さんを見つめながら寄稿してもらうのである。小学校に入ると、やはり保護者の文集が発行されるが、さらに小さい頃のお子さんを見つめながらの文集は「宝物でもあります」と保護者の皆さんにお勧めしたものである。いつか子供たちが成長して、幼稚園時代の親の思いを読み、改めて親子の愛情が導かれると思う。「ドレーパーだより」も良い取り組みになっている。1987年に幼稚園創立25周年記念のお祝いを行う。その時、歴代の母の会の会長さんに集まっていただき、ご協力を仰いだのである。話し合いの中で、卒業生の皆さんにお知らせするためにも機関紙を発行することにしたのである。それと共に「後援会」が発足されたのであった。後援会ができたことで、幼稚園を背後から支える取り組みが出来たのであった。同窓会と共に後援会が発行する「ドレーパーだより」は卒業生と幼稚園を結ぶ良いパイプであると思っている。
 3月21日の同窓会で幼稚園に赴いたとき、各年度の集合写真が飾られていた。毎年、年長組が一泊保育を行っているが、その記念写真を飾るようにしているのである。集合写真はどこの幼稚園でも写すが、毎年の集合写真を飾ることはない。この集合写真を飾るようになるのは、定かでないが1994年頃かと思う。その年の一泊保育で、適当な場所がないので、寺院の石段でお弁当を食べていた。丁度ひな壇になっている。他の観光客がその様子を写してくれたのであった。後日、写してくださった方が、大きく引き伸ばした写真を送ってくれたのであった。折角、送ってくれたので額に入れて飾ったのである。それから二年後くらいから、毎年の集合写真を飾るようにしているのである。写し人知らずの写真が集合写真の始まりであった。
 それから、ぜひ覚えておいてもらいたいのは、年長組みの卒業制作である。ベニヤ版の大きさの板に、子供たちが自分の顔を描くのである。それを一年間、幼稚園の外壁に飾っておく。この卒業制作を始めたのは1985年頃であろうと思う。昨年12月に召天された角田啓子さんがその頃の幼稚園教諭であり、卒業生を送り出すにつけ、卒業製作を園長に求める。どのようになるのか、分らないままに許可する。そして、一年間飾られている卒業製作を、卒業生や保護者が、わざわざ見るために幼稚園の通りを歩いているのだと示されるのであった。この卒業製作が今でも取り組まれていることを喜んでいるが、召天された角田啓子さんの大きな功績であると思っている。良い取り組みを残してくれたと…。



2012年3月20日に写したドレーパー記念幼稚園のたたずまい。
外壁には卒業製作が掲げられている。



園長の退任を記念して、佐竹和平新園長が欅の木にアスレチックを建設してくれる。
アスレチックに「おやじ組」が「のぶらはむのいえ」との銘鈑を作成してくれた。