鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <75>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<75>
2012年3月23日 「共に務めを果たしつつ」 


聖書の言葉
その後、パウロアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディウス帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロ安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人やギリシャ人の説得に努めていた。
使徒言行録18章1-4節)



 今年は春分の日が一日ずれて20日になった。例年であると21日である。この春分の日にドレーパー記念幼稚園の同窓会が開催されている。今年は20日であったので重ならなかったが、実は例年の春分の日、21日は私共夫婦の結婚記念日なのである。従って、その日は同窓会で卒業した子供達との再会を喜び、夕刻には私共の子供たちも集まって結婚記念日のお祝いを開いていたのであった。今年は重ならなかったので、21日は朝から結婚記念日であることの意義を示されながら過ごしたのであった。毎年、結婚記念日をお祝いしているように受け止められてしまうが、以前はそれどころではなく、ともすると忘れてしまうこともあった。いろいろな職務に追われ、子供達が電話等でお祝いを述べることで、この日を思い出すこともあったのである。今は職務に追われることなく、その日の意義、歴史において関わった事柄等を思い起こしながら日々過ごしているのである。
 従って、今年の21日の結婚記念日は、何をするわけでもないが、二人で歩んできたことを振り返るのであった。お祝いについては羊子が来週27日に一時帰国し、31日には家族が全員集まるので、その日に行うことにしている。だから、今年の21日はまさに二人だけで昔を振り返りつつ過ごしたのである。お昼の食事はファミリーレストランに出かける。最近は肉類はあまり食べないのであるが、もともと好物であったビフテキ、アサリのパスタ等を注文する。連れ合いのスミさんはハンバーグと海老フライの盛り合わせである。スープバーがついているので、何回もお代わりをしながらいただく。車で出かけているし、ワインで乾杯するわけにもいかず、ここはスープで乾杯したのであった。
 ここからは私の思いを記しておきたい。43年の結婚記念日であるが、改めて、今日まで私の牧会者としての歩みを共に歩んでくれている連れ合いのスミさんには感謝を述べたい。今時の牧師の奥さんは、自分は牧師夫人でないことを主張し、一人の信徒としての存在を主張される方がおられる。それはそれで一人の存在の生き方であり、私はそういう生き方を尊重している。それらの人たちに対しては何も申し上げるつもりはない。しかし、連れ合いのスミさんに限って言うのであれば、彼女は牧師の連れ合いとして結婚したのである。牧師と結婚したのであるから、牧師の奥さんなのである。牧師は教会の職務、幼稚園があればその職務を担いながら歩んでいるのである。当然、いろいろな電話がある、牧会的なこと、幼稚園の職務上のこと、牧師がいなければ牧師夫人は応対せずにはいられない。もちろん、具体的な事柄までは立ちいることはできないが、それなりに応対しなければならないのである。牧師は牧会的なことは何一つ語らないので、分からないままに応対すること、至難の業であろうと思う。むしろ、牧師以上に相手のお話を忍耐を持って聞き、何も助言はできないにしても、ただお聞きするだけが大きな牧会なのである。

 むしろ牧師以上に、教会員の皆さんのことについて、いろいろと知っているのが連れ合いのスミさんであった。牧師は集会等が終われば、さっさと引き上げて書斎にこもるか、食事等をしている。しかし、連れ合いのスミさんは最後のお一人が帰えられるまで、その方にお付き合いしているのである。さらにまた、本来は牧師が、最近礼拝には出席されない方に電話など差し上げて消息を尋ねるのであるが、連れ合いのスミさんがその務めを果たしてくれるのである。牧師は手紙を書いては連絡を取っていたが、直接声を聞くことが大切であることは承知しているのであるが。
43年間、そう、この期間、何よりも連れ合いのスミさんは、鈴木伸治牧師の説教の聞き手であった。2010年9月をもって横浜本牧教会の代務者が終わり、その後は無任所教師になるので、どこかの教会に出席する予定であった。今までは鈴木伸治牧師の説教を聞きながら過ごしてきたのであるが、これからはいろいろな教会の牧師の説教を聞くことができるので、よろしいことではないかと思っていた。10月、11月は私の出身の清水ヶ丘教会、スミさんの出身の高輪教会に出席したりした。また、大塚平安教会や横浜本牧教会に新牧師が就任するので、その就任式に出席するため、それぞれの教会の礼拝に出席していた。一通り挨拶の意味で、お祝いの意味で関係する教会の礼拝に出席していた。さて、これからはどこの教会に出席しようかと考えていたのであるが、11月28日から六浦谷間の集会の礼拝を連れ合いのスミさんと、たった二人で始めることにしたのである。10月から無任所教師になったとしても、御言葉に向かう姿勢は続けており、毎週の説教を作成してはブログで公開していたのである。ただ、原稿としての説教ではなく、実際に礼拝にて語られる説教として、六浦谷間の集会における礼拝説教としたのである。これで、今後はいろいろな牧師の説教を聞くことができなくなった連れ合いのスミさんである。結局、43年間、鈴木伸治牧師の説教を聞き続けているのであるが、連れ合いのスミさんは、これを喜んでいるのである。
 43年間の二人の歩みは、夫と妻、子供達の両親であるが、そしてまた牧師と信徒の関係も続いているのである。説教者として、いつまでも立てて、支えてくれている連れ合いのスミさんに、心から感謝している。43年間、ありがとう。