鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <8>

 

  隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<8>
   2011年10月17日 「天にあるふるさと」 


 聖書の言葉
 わたしたちの本国は天にあります。
      (フィリピの信徒への手紙3章20節)


 毎年、日本で言う「お盆」時期になると鈴木家の墓参に行っている。今年もさる8月13日に行く。鈴木家の墓は横須賀市安針塚にある寺にある。この寺は、その昔、浄土真宗に対する迫害があり、壊滅したままであった。その寺を鈴木家の先祖が掘り起こし復興させたというのである。そのため、この寺の住職さんは鈴木家に恩義を感じており、何かと声をかけてくれていたようである。そのため私の父は熱心になり、寺が催す仏事には常に参加していたし、足繁く寺に通っていたのである。墓の周りには石柱の囲いがあり、それぞれの石柱には寄進した人の名が刻まれている。入口の柱は他の石柱よりは少し大きくなっており、そこには父と母の名前が刻まれている。寄進が多かったのであろう。



墓地の入口の石柱に両親の名が刻まれている。



 このようにして私の両親は浄土真宗の檀徒であった。そのため両親の葬儀はこの寺の浄土真宗により執り行ったのである。葬儀は生前の信仰により行われるべきと思っている。母は1989年に亡くなり、その時は父が喪主であった。父は1995年に亡くなるが、その時は息子の私が喪主であった。キリスト教の牧師が仏式葬儀の喪主であるという、面白い組み合わせとなる。葬儀は自宅で行われ、道端には花輪が並べられる。その最初の花輪は大塚平安教会の名であり、ついでドレーパー記念幼稚園の花輪であった。「ここの家の息子さんはキリスト教の牧師さんということですよ」との声が聞こえてくる。
 母が無くなり、通夜式の時、友人の牧師達が数名来てくれた。浄土真宗は葬儀の終わりに和尚さんが死者に関わる法話をする。そこに居る家族のためである。一般の人は焼香が済めば帰るのであるが、牧師達は残っていた。それで法話が始まったので牧師達を庭さきに呼び、一緒に聞いてもらったのである。和尚さんは、最初は家の中に居る家族と親族に向けて話していたが、次第に庭で立って聞いている牧師達に向けて話していた。鈴木家の息子はキリスト教の牧師であることを知っている和尚さんであり、庭先で聞いている人達は牧師であることを察知していたようである。牧師達は話すことと共に聞き上手でもある。和尚さんのお話に大きく頷いたりするのだった。家族や親族は黙って下を向いて聞いていることもあり、頷いて聞いてくれるので、いつの間にか牧師達に向かってお話をすることになったのである。その後が面白い。通夜式が終わり、いわゆるお清めという食事がある。牧師達も縁側で和尚さんと共に、お酒を飲みながら話しの花を咲かせたのであった。一人の和尚さんと7、8人の牧師達の奇妙なお清め会となる。



三番目の姉・高橋夫婦により修繕された鈴木家の墓地。




 一年に一度の墓参であり、今回、墓前に立った時、墓石が修理されているのを見る。既に聞いていたが、三番目の姉夫婦が修理してくれたのである。石も古くなり、基礎部分を補強しておかないと崩れる可能性もある。修理してくれたことを感謝した次第である。古くなると言えば、寺自体も古くなっていた。耐震構造にはほど遠い。それで寺の建て直しが行われた。その費用は檀徒が負担することになる。その説明会に行く。両親は既に亡くなっているし、鈴木家は、もはや檀徒は居ない。説明会が終わって、和尚さんに鈴木家の立場を聞いてみる。鈴木さんのお宅はお墓があるので墓檀家ですよ、と言われたのである。先祖代々の墓があるので、檀家ではないとは言いきれないのである。寺の建て替えと共に墓の整備があるので、65万円の協力が必要であった。しかし、もはや墓だけの関係なので、半額を負担したのである。その他、毎年1万円の維持費を納入している。
 帰りがけに新築なった寺を眺める。たたずまいは前の寺とは変わらないようであるが、新しい建材であり、なんとなく輝いている。しかし、寺というものは古めかしい方が、威厳があり、重々しく感じる。寺の前の庭には父が寄贈した源平桃の木が、どっしりと構えていた。



鈴木家の庭に咲く源平桃。父が丹精して育てた木である。
寺にも寄進し、今は見事な樹木になっている。