鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

鷹取山( 目を上げて山々を仰ぎ )

 
 昨日、礼拝に出席された追浜に住まわれる方は鷹取山の近くでした。昔、鷹取山へは私の家から山伝いに行きました。だからその方の家には山伝い、今は家が立ち並んでいますが、行かれるはずです。今日は鷹取山がその後どのようになっているのか、出かけることにしました。鷹取山は岩が切り出された場でありましたが、その岩は地震に弱いことが判明し、その後は岩の切り出しは行われなくなりました。しかし、ロッククライミングやハイキングコースとして親しまれるようになりました。神武寺へ抜けるコースはハイキングとして喜ばれているようです。1965年(昭和40年)以降、山の周辺が住宅地(湘南鷹取)として開発され岩場のみ公園として残されています。同時期に有志の彫刻家により山の一部に石仏が彫られたということですから、私が鷹取山に登っていた後の時代になります。
鷹取山はわずか標高139メートルですが、ハイキングコースの山として、ロッククライミングの練習の場として知られています。追浜から登るコースと神武寺から登るコースがあります。今日は追浜から登ることにしました。登ると言っても、こちらのコースは鷹取山の寸前まで舗装された自動車道になっていました。もちろん、昔はハイキングの山道でしたが、そのかけらさえありません。ゆるい坂道を上がって行くのですが、鷹取山のすぐ近くまで家並みが続いているのです。ここまで家を造らなくてもよいのにと思った次第です。前記しましたように1965年以降に開発されたということです。その頃は神学校で学んでいる頃でした。家並みが終わったら鷹取山公園入口があり、ゆるい坂を上って行くと鷹取山です。ロッククライミングの岩山があちらこちらにありました。展望台に上ると、富士山を見ることができましたし、房総半島まで見ることができました。今日は月曜日なのでクライミングをする人は少ないようです。一人の人が岩壁を登っていました。時間的にも午後3時になっているので、クライミングをして帰った人たちもあるのでしょう。
 鷹取山からは田浦方面、追浜方面、神武寺方面、東逗子方面の道がありましたが、神武寺方面を選びました。神武寺駅で降りて、このコースを登ってきたことがあります。追浜方面は山の感じはなく、本当につまらない道になっています。神武寺方面はハイキングコースとなっており、まさに山道なのです。久しぶりに丹沢登山を思い出しながら、下って行きました。落葉を踏みしめ、岩畳を歩き、鎖の手すりにつかまりながら歩くところもあり、まさにハイキングでした。神武寺まで20分と言うことです。そこから京急神武寺駅まで30分くらい歩きます。これならわざわざ丹沢に行かなくても、神武寺コースを登り降りすれば、ちょっとした登山になります。今度はそうしようと思っていました。腰の痛みが出ることを心配しながら丹沢を登るより、往復2時間もあれば歩けるコースです。
 「なぜ山に登るのか」との問いに、「そこに山があるからだ」との単純な会話があります。しかし、山登りをする人は、そこに人生を受け止めつつ行くのではないでしょうか。喘ぎ喘ぎ登り、そして一息つく喜びがあります。目の前にどこまで続くかと思われる石の階段があります。一足一足踏みしめながら登って行くのです。後ろを振り返ると、絶景を見ることができます。夏に登ると、シャツを脱いで汗を絞ります。ここで気を抜いてはいけません。頂上はまだ先なのです。再び登り始め、最後の急坂を登りきったところが目的地でした。ついに頂上に達したという喜びがありますが、何か平穏な思いがひたひたと伝わって来るのです。こうした山登りを経験した時、そこに人生の縮図を見るのです。苦しく、辛いことがありますが、最後は喜びに変わることを信じているのです。この人生は苦しく、辛く、悲しみで終わるではなく、最後は必ず祝福で終わることを信じることです。それが信仰に生きるということなのです。
<聖書の言葉>
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。
詩編121編1節、2節)