鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<465>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<465>
2018年6月21日「心に示されるいくつかのこと」



聖書の言葉
モーセが荒野で蛇をあげたように、人の子も上げられなければならない。それは、信じる者が、人の子によって永遠の命を得るためである。
新約聖書ヨハネによる福音書3章14節)



ドレーパー記念幼稚園の園長先生より連絡をいただく。幼稚園の玄関ホールに飾っていた額を取り外したことにより、その額の関係者に返したいと言われる。その額は横75センチ、縦52センチもあるのでかなり大きいものである。その中に飾られているのは藍染のテーブルセンターである。今まで飾られていたが、今では誰も飾られている意味が分からないであろう。私が退任して8年を経ているが、今日まで飾ってくれた幼稚園に感謝している。そして、もはや取り外しても当然と思っている。この額は、私がいただくことにしたのである。しかし、家の中では飾る場所もなく、書斎においているのであるが…。
1979年に大塚平安教会の牧師に就任したが、同時にドレーパー記念幼稚園の園長にも就任している。年月をはっきり記すことができないのであるが、就任してから数年後に一人のハンディキャップを持つお子さんを幼稚園で受け入れる。もともとドレーパー記念幼稚園はハンディキャップをもつお子さんを受け入れているので、比較的多くのお友達を受け入れていた。そのお子さんは目が見えない。また知的障害も合わせて持っていたのである。受け入れにあたり、先生たちと相談する。どのように受け入れるか、どのように園生活をしてもらうか等、心配すると限りない。いろいろと協議しつつ受け入れたのであるが、教職員が心配していた事柄は、園生活が始まるとすぐに解消されたのである。S子ちゃんと称するが、園生活ではS子ちゃんの周りには親衛隊がいつもいるのである。親衛隊がいろいろとお世話をしてくれて、何かあれば先生に知らせてくれるのであった。こうして2年間の園生活を送り、卒業式を迎える。一人一人が前にいる園長から卒業証書を授与されるのであるが、S子ちゃんが呼ばれたとき、一人のお友達が介助しつつ前に進んだのである。目が見えないながらも卒業証書を抱えるS子ちゃんを、お友達が手を引きつつ席に戻って行く。保護者の皆さんはS子ちゃんの存在を知っており、理解されているので、卒業証書を抱えるようにして戻って行く姿を、涙を流しつつ見守ったのであった。
幼稚園を卒業したS子ちゃんは大学付属の小学校に進む。さらに付属の中学校に進んだのであった。中学では藍染班に入り、お友達と共に藍染を行う。藍染のテーブルセンターは、S子ちゃんが作ったというのではなく、S子ちゃんが製作の一部に関わっているのである。藍染の水洗いの作業に関わったのである。そして出来上がった藍染テーブルセンターをお母さんが贈ってくださったのである。この様なお友達がいたこと、いろいろと挑戦しながら成長していること、その証しを皆さんにお知らせする意味で幼稚園の玄関ホールに飾ったのである。学校を卒業したS子ちゃんは施設に入る。その施設ではクッキーを作ってはいろいろなところに利用してもらっている。在任中、数年にわたり、クリスマスにはクッキーを取り寄せては皆さんに差し上げたのであった。藍染テーブルセンターはしばらくは語り草であったが、今では誰も知らなくなっている。今日まで飾ってくれていたことを感謝したい。これからは私の書斎にありながら、その存在を語りかけてくれるであろう。毎年、お母さんからは年賀状をいただいている。今年の年賀状には、「S子は回りの方々に恵まれて、彼女らしく、自由に明るく過ごしています」とご報告をいただいている。
この藍染テーブルセンターと共に、幼稚園の玄関ホールには、もう一つの額が掲げられている。ベニヤ板の大きさに詩が書かれている。題して「天国の特別な子ども達」である。園長に就任してまもなくであったと思う。キリスト教保育という雑誌にこの詩が紹介されたのである。当時の幼稚園の主任先生も感動され、ぜひ皆さんにも読んでいただきたいというのである。要するに、これを掲げてもらいたいと言っているのである。そこで腕を振るう。当時、教会の外には、ベニヤ板に聖句を書いては掲げていたので、すぐに作業を始める。我ながら良い出来映えであった。幼稚園の玄関ホールに掲げるようになって、どんなにか多くの人々が感動を与えられ、慰められ、励まされたことであろう。
これを引き取るとなると、我が家には置くところがないのであるが…。



S子ちゃんが製作に関わった藍染テーブルセンター。



「天国の特別なこどもたち」の詩が幼稚園の玄関ホールに掲げてある。