鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<461>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<461>
2018年4月8日「ご復活の主に導かれつつ」



聖書の言葉
信仰によって、ヤコブは死に臨んで、ヨセフの息子たちの一人一人のために祝福を祈り、杖の先に寄りかかって神を礼拝しました。
新約聖書ヘブライ人への手紙11章21節)



今年のイースター、復活祭は4月1日であった。2018年度の最初の礼拝がイースターであること、誠に力強い導きとなる。どこの教会もイースター礼拝を喜びつつささげ、またお祝いをしたことであろう。六浦谷間の集会も皆さんと共に礼拝をささげたが、その日の礼拝は午後4時からであった。午前は、私が伊勢原教会の礼拝に出席するためである。伊勢原教会は、毎年、年度の初めの日曜日に、幼稚園教職員の紹介をしている。この日、教会によっては教職員の任職式がおこなわれるのであるが、伊勢原教会は紹介と言うことである。3月まで横浜本牧教会付属早苗幼稚園園長を担ったのであるが、4月からはお招きをいただいた伊勢原幼稚園の園長に就任することになったのである。紹介されると思っていたが、園長の任職式がおこなわれることになった。
伊勢原教会に関わる伊勢原幼稚園園長に就任することになったとき、最初はお招きをいただいて承諾したのであるが、いろいろと今までの歩みを示されたとき、必ずしも教会にしても私の個人の思いにしても、思いつきではないと示されている。ここに至るまで神様の長いお導きがあったことを示されたのである。神学校を卒業して東京の青山教会に赴任するが、その4年後には宮城県の陸前古川教会に赴任する。前任の牧師、後藤金次郎先生は40年間、教会と幼稚園を担ってこられたのであった。先生は退任してからは伊勢原に住むことになり、伊勢原教会に出席されていたのである。当時の高木鍋次郎牧師のお手伝いを何かとされていたようである。その後藤先生の娘さんとは何かと手紙のお交わりがあった。そして、6年半後には綾瀬市にある大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園に就任する。伊勢原教会は同じ湘北地区である。私が神奈川教区議長に就任し、議長は地区内の教会の牧師就任式には司式のために赴くので、伊勢原教会でも務めを果たしているし、創立記念日等で祝辞を述べているのである。さらに、伊勢原教会の牧師は横浜本牧教会の出身であり、幼稚園園舎もなんとなく早苗幼稚園に似ている。横浜本牧教会及び早苗幼稚園の建物を設計した人のお弟子さんが伊勢原幼稚園の建物を設計されたとか。まったく同じではないが、雰囲気が似ているということである。そんなことをいろいろと思いめぐらしていると、神様のお導きが長い間に示されていたことを知るのである。もっとも伊勢原幼稚園の園長としてのお勤めは一年の約束である。私自身、現在78歳であり、もう若くもなく、そんなに動けないのである。それにしても自宅から伊勢原幼稚園までは電車を利用して2時間を要する。朝6時には家を出ることになる。
朝6時に家を出て電車の乗るのであるが、その時間には多くの人が駅のホームにいる。こんなに早く出かける自分を思っていたが、世の中の人々は、早くから仕事に向かい、一日を過ごしていることを示されるのであった。今まで教会を中心に動いていて、毎日、こんなに早くから動いていなかったのである。この歳になっても職務を担うこと、神様のお導きと示されているが、やはり体を大事にしながら務めることにしたい。
もはや桜も葉桜になりつつあり、我が家の源平桃も葉が見え始めている。一時の花の美しさは、この一年の励ましであろう。春はまさにイエス様の復活のお導き、そして美しい花に励まされて歩みだすのである。



伊勢原教会の佇まい。



伊勢原幼稚園の佇まい。



イースターエッグ。スミさんが製作。



源平桃の木も若葉が目立つようになる。