鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<460>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<460>
2018年3月30日「受難週を歩みつつ」



聖書の言葉
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。
新約聖書・マタイによる福音書6章28-30節)



今年の棕櫚の主日は3月25日であった。この日から受難週の歩みとなり、主の十字架への道を示されながら歩みたい。この日の六浦谷間の集会は連れ合いのスミさんと二人でささげる。礼拝では、スミさんが聖書朗読をするし、献金感謝のお祈りをしている。教会では多くの場合、司会者が聖書朗読をする。献金感謝祈祷は教会員が順番に礼拝奉仕者としてささげるので、一人の人が毎週献金感謝祈祷をささげるのではない。それを思うと、スミさんは毎週聖書朗読と献金感謝祈祷をささげているのである。小集会のお恵みと言えるであろう。礼拝が終われば夫婦で「あなたに平安がありますように」と相互挨拶をするのである。こんな夫婦も珍しいと思っている。
棕櫚の主日と言えば、いつもスペイン・バルセロナカトリック教会のミサを思い出す。2011年4月、5月に連れ合いのスミさんと二番目の娘・星子と共にバルセロナの羊子のもとに行く。羊子はカトリック教会に出席しており、ミサの奏楽奉仕をしている。適当なプロテスタント教会が見つからなかったからである。丁度、受難節であり、私たちがミサに出席したのは棕櫚の主日のミサであった。当日は子供たちが作られた棕櫚の枝をもって教会に集まってくるのである。この時期になるとサグラダ・ファミリア教会の通りには多くの露天商が出店し、棕櫚の枝やお菓子まで売っている。子供たちは親に棕櫚の枝を買ってもらって集まってくるのである。ミサではその子供たちが棕櫚の枝をもって聖壇に上がる。神父さんと共にイエス様を迎えるのである。いよいよイエス様がお出でになったということで、棕櫚の枝を床に打ちつつ迎えるのであった。なんかお祭り騒ぎなのである。たしかにイエス様が都エルサレムに入場したときには、都の人たちは棕櫚の枝を道に敷き、あるいは上着を道に敷いて、イエス様をお迎えしたので、そのときと同じように歓呼してイエス様を迎えることは聖書的でもある。しかし、日本の教会は棕櫚の主日からイエス様のご受難が始まるということで、静かな礼拝になる。イエス様のご受難を偲ぶためでもある。イエス様のご受難は人間をお救いになるのであり、その意味では喜びつつ棕櫚の主日を迎えることも意味があるのである。
早苗幼稚園の園長としての職務は3月31日までであるので、まだ園長の責任があるが、お休みをいただいている。そのため教職員の皆さんが、いくつか決済を求める連絡をよこされた。しかし、その他は職務がないので自宅で過ごさせていただいている。休みになったら取り組みたいことがあった。それは庭に造ってあるビニールハウスの解体である。2010年4月から、この六浦の家に住むようになり、連れ合いのスミさんの要望もあり、庭の一角に物を置く場所を造った。ホームセンターで販売していたので購入し、組み立てたのである。ビニールハウスなので、年月を経過するうちにビニールが破損してくる。そこでその上からシートで覆ったのであるが、それも年月の経過と共に劣化してしまう。みすぼらしい姿になっているので、バルセロナ在住の娘の羊子が帰国中、いっそのこと解体したらと助言される。直し、直しを繰り返すのではなく、解体を決心していたのである。丁度、お休みをいただいているので解体作業を始める。なんと二日もかかってしまった。解体後は広々とした元の庭になった。おりしも庭の源平桃の花が満開であり、風光明媚な庭になったという訳。これからは暇さえあれば、庭仕事をしたいと思っているのであるが。
その源平桃の花が、今は満開になっている。夫婦だけで喜んでいるのではなく、皆さんをお招きしたいと思っていたが、不可能のようである。一本の桃の木から赤と白の花が咲くので源平桃と称している。この源平桃は父が育てたものであり、父は苗木をいろいろな人に差し上げたようである。道を歩いていると、源平桃の花が見受けられる。娘の羊子は、この源平桃の花を示されながら、「源平桃」を作曲し、日本曲をリリースしたときCDに入れている。曲を聴きながら花を鑑賞する、結構な日々である。



破損が多くなったビニールハウス。



解体後の広い庭。



今年も源平桃の花が満開になる。



日々、桃の花を鑑賞しつつ。