鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<384>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<384>
2015年11月14日「出会いが重ねられ」


聖書の言葉
わたしたちは人々に別れを告げて船出し、コス島に直航した。翌日ロドス島に着き、そこからパタラに渡り、フェニキアに行く船を見つけたので、それに乗って出発した。やがてキプロス島が見えてきたが、それを左にして通り過ぎ、シリア州に向かって船旅を続けてティルスの港に着いた。ここで船は、荷物を陸揚げすることになっていたのである。
使徒言行録21章1-3節)


娘の羊子が結婚した彼と共に一時帰国した。羊子はスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしており、神様のお導きで、昨年の10月25日にサグラダ・ファミリアにてスペイン人のイグナシオさんと結婚した。この度、羊子は結婚した彼を日本に連れてくることになったのである。ところが、結局、一時帰国にしても、各地でコンサートを開くことになってしまうのである。今回のブログは羊子の帰国に関わるいくつかを記しておくことにした。
羊子たちは10月30日、羽田空港に到着する。本来、私達夫婦で出迎える予定であった。ところが荷物が多く、連れ合いのスミさんは家で待つことにして、私一人で迎えに行ったのである。通常の荷物は23キロであるが、46キロまでの荷物を所持するチケットにしたのである。彼と共に92キロの荷物となる。加えて機内持ち込みの荷物もあり、私の車のトランクには入り切れない。だから私と羊子夫妻と3人が車に乗り、さらに荷物を詰め込むことになる。まあ、何とか持参の荷物を積載できたのである。今回の持ち物が多いのは、羊子のCDを持ってくること、今までスペインで出会った人たちと再びお会いすることになるので、そのお土産もかなりある。さらに連れ合いのスミさんが置いてきたものを持ってきたためでもある。
私達夫婦は昨年10月21日から今年の1月7日までバルセロナに滞在する。滞在中、結婚した彼のお母さんとも親しくなり、連れ合いのスミさんは手芸関係で意気投合していた。お母さんからは手芸の材料や手芸関係の本までいただいていたのである。帰国のとき、当然それらの物は持って帰ることであった。ところが、もしかしたら再びバルセロナ生活が浮上したのである。今年の1月7日には帰国するのであるが、その前日の6日にバルセロナ日本語で聖書を読む会の礼拝が下山由紀子さんのお宅で行われる。私が説教を担当したのである。その集会にはドイツのケルン・ボンの教会のお務めしている斎藤篤牧師が出席されたのである。彼は私の神学校の後輩にもなるが、東海教区におられて、教団問安師として教区総会に訪れたとき等、親しくお交わりをしているのである。齋藤篤先生はこの集会で説教されたこともあり、バルセロナにお出でになる時は下山由紀子さんの家にお泊りになるのである。そのバルセロナの集会が終わったとき、私達夫婦と羊子に一つのことを話された。それはベルギーのブリュッセルの教会が2015年4月から牧師がいなくなるので、しばらく牧師として務めてもらえないかということであった。私としては日本に帰国しても、六浦谷間の集会の礼拝、横須賀上町教会や三崎教会の礼拝説教以外は特別の職務もないので、かなり承諾に近い返事をしたのである。その場合、週日は羊子の家で過ごし、終末から日曜日にかけてブリュッセルに行くという選択肢もあった。だから私達が帰国するとき、連れ合いのスミさんは再びバルセロナに来るのであるからと、手芸関係の物はみんな羊子の家に置いてきてしまったのである。洋服も置いて行くと言っていたので、羊子も私も持って帰るよう説得したのである。日本に帰国してから過ごしているうちにも、つくづく示されることは、もう私達は75歳なんだということである。そんなに無理ができないということを身に染みて感じる様になっていたのである。従って、斎藤先生にはブリュッセルのボランティア牧師は辞退したのであった。再びバルセロナに行きたいと思っている連れ合いのスミさんは、羊子がスミさんの置いてきた荷物を持って帰ると言ったことに対して、何も言わずに受け止めたのであった。羊子たちの荷物のことで長々と記してしまったが、荷物のことではいろいろと思い出がよみがえってきて、楽しんで反芻している。
2011年に最初にバルセロナに行くことになる。私達夫婦と二番目の娘の星子と三人で赴いた。当初はスイス航空のフライトであったが、キャンセルが多く、飛行は中止となる。それでスイス航空は全日空を紹介してくれる。もともと全日空が希望であったが、割高なのでスイス航空にした経緯がある。願ってもないことであった。ところが切り替えた全日空が乗り継ぎのフランクフルトに遅れて到着したので、バルセロナへの乗継ができなかった。フランクフルトで4時間待ち、ようやくバルセロナに着いたのである。そして出口で我々の荷物が出て来るのを待ったのであるが、とうとう出てこなかった。それでトラブル受付所に行き調べてもらう。保管されていたのである。つまりフランクフルトで我々は乗継ができなかったが、荷物はすぐにバルセロナ行に乗継となり、荷物だけ先に着いていたのであった。羊子たちが一人46キロ、二人で92キロの荷物で一時帰国したことで、いろいろと昔を思い出したのであった。
さて、羊子たちがバルセロナに戻るとき、荷物をどうするのか心配している。何しろ皆さんからのいただき物が多いので…。荷物のゆえに、私達も大きなトランクをもって、一緒にバルセロナに行ったりして…。



バルセロナ・プラット空港にて。日本に向かう羊子たち。



10月30日、羽田空港に着いた羊子たち。飛行機の長旅、ご苦労様。



マレーシア・クアラルンプールにボランティア牧師として赴くときは、
一人40キロの荷物を持つ。



2014年10月にバルセロナに赴くとき、星子がいろいろと手続をしてくれる。
荷物は黄色いベルトで締めていた。