鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<383>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<383>
2015年11月7日「いくつかの原点 5」


聖書の言葉
今の時代を何にたとえたらよいか。広場に座って、ほかの者にこう呼びかけている子供たちに似ている。「笛を吹いたのに、踊ってくれなかった。葬式の歌をうたったのに、悲しんでくれなかった」。
(マタイによる福音書11章16-17節)


2011年6月をもって隠退教師になっている。2010年3月をもって30年6ヶ月間在任した大塚平安教会を退任した。そしてその年の4月から9月まで横浜本牧教会の代務牧師として務める。その後10月からはどこの教会にも所属しない無任所教師になったので、11月28日から六浦谷間の集会を夫婦で始め、夫婦二人だけの礼拝をささげるようになったのである。無任所教師になったとき、私の出身教会である清水ヶ丘教会、連れ合いスミさんの高輪教会等に出席したり、大塚平安教会や横浜本牧教会の牧師就任式に出席したりしていた。そして、その後は六浦谷間の集会を始めることになったのである。礼拝では讃美歌を歌うのであるが、幸いにしてヒムプレーヤーがある。大塚平安教会時代、新しいヒムプレーヤーを購入したとき、今までのものは仕舞っておいたので、戸棚の中で眠っていたのである。もったいないのでいただいたのであった。これがあれば奏楽者がいなくても讃美歌を歌える。誠に良いものが発売されたと思っている。今まで、この六浦谷間の集会には夫婦以外に知人が出席している。やはりヒムプレーヤーは威力を発揮してくれるのである。
ところで、今回は何を書きたいのかといえば、私の「音感」というものである。特別に誇っているのではないが、小さい頃から音感が養われていたのである。その私の音感はハーモニカによると思っている。ハーモニカに親しむようになるのは小学校上級の頃である。小学校では、毎年秋になると学芸会が開催される。5年生か6年生の時か、クラスでは楽器の演奏を披露することになった。楽器と言っても、木琴、カスタネット、トライアングル等、簡単な打楽器である。私の場合はカスタネットであったと思う。その頃、我が家には日本聖書協会の聖書頒布員の方が出入りしていた。清水ヶ丘教会員であり、私の二人の姉たちとも親しくしていたようである。金沢区方面に聖書の小冊子を頒布していたのである。それらの小冊子は我が家に置いており、いつも出入りしていたのであった。そんなこともあり、その聖書頒布員の方が私にハーモニカをプレゼントしてくれたのであった。これは何よりのプレゼントである。おりしも学芸会の練習をしている時であり、ハーモニカの猛練習をすることになる。学芸会の曲をハーモニカで吹けるようになったので、学芸会の練習日に持って行ったのである。指導する先生もハーモニカの参加を喜んでくれる。何しろ楽器の演奏と言ってもたいした楽器はない。こうしてハーモニカが加わっての練習であったが、一週間もしないうちに、ハーモニカの参加が多くなってくる。親にねだって買ってもらったのだろう。「みんな持っているから…」と言うわけで。
それからは個人の楽しみとしてハーモニカを吹くようになった。人前では披露しなくても、折に触れてハーモニカに親しんでいたのである。その後、牧師になり、集会では讃美歌を歌うようになる。教会での集会はオルガンやピアノがあるが、家庭集会等では置いてない家庭が多い。昔はヒムプレーヤーなるものはなかったのである。讃美歌を歌うとき、最初の音の出だしが大切で、高かったり、低かったりすることがある。その様な集会の時、だいたいは私が最初の音出しをしながら歌い始めるのが常となる。「牧師先生は音出しが上手である」と言われるようになる。しかし、最初から高かったり、低かったりしたこともある。綾瀬ホームとさがみ野ホームに行っては利用者の皆さんと礼拝をしている。当初はヒムプレーヤーがなかったので、私が大きな声で歌うことで、利用者の皆さんが一緒に歌うのである。ここでも楽器なしで、音出しを行い、讃美歌を歌っていたのである。
記憶に残っているのは葬儀の讃美歌である。綾瀬ホームの利用者の葬儀が斎場で行われた。もはやヒムプレーヤーを使っていた。斎場に着いて車を降りたとき、うっかりヒムプレーヤーを落としてしまったのである。固いコンクリートに落ちてしまったので、音が出なくなってしまう。直している時間もない。葬儀は奏楽の楽器なしで讃美歌を歌うことになる。例によって音出しをしながら皆さんと歌う。終わりの献花のとき、ヒムプレーヤーがあれば演奏を続けるのであるが、ここは讃美歌320番を低く歌い続けたのであった。「主よ、みもとに…」を歌っていると、数人の人も一緒に歌うのであった。人の歌声によるお別れの曲は、何よりの贈り物ではなかったかと思う。
私は音感に優れていると言っているのではなく、ハーモニカによって養われた音感が、牧師としての働きを助けてくれたと言いたかったのである。そのハーモニカ演奏はバルセロナでは皆さんに披露したのであるが、日本では今のところお披露目の予定はない。



上は二代目のハーモニカ。小学生時代の物は不明。
下は数年前に購入している。



さがみ野ホームで利用者の皆さんと讃美歌を歌う。



2012年のバルセロナ滞在で、初めて皆さんの前でハーモニカの演奏をする。



2014年10月25日、羊子の結婚披露宴でハーモニカの演奏でお祝いする。