鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<381>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<381>
2015年10月24日「いくつかの原点 3」


聖書の言葉
わたしたちは、このような宝を土の器の中に納めています。この並外れて偉大な力が神のものであって、わたしたちから出たものでないことをことが明らかになるために。わたしたちは四方から苦しめられても行き詰らず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています。
(コリントの信徒への手紙<二>4章7-10節)


10月は私の人生の原点があるとして、10月6日の洗礼記念日のこと、10月からは現役を退いて無任所教師になったこと等を記しておいた。洗礼記念日は私の信仰の人生の始まりであり、現在のすべての原点になっている。無任所教師の始まりを原点としているのは、42年間、現役の牧師として歩んできたが、現役を退いての歩みであり、新たなる歩みとして原点としているのである。それからもう一つ、原点と言うのではないが、私自身の存在を現すことが10月に起こったのである。日本基督教団の総会にて教団書記に選任されたということである。私がそんなに力があるとは思わないが、何故か次第に重い存在になって行くのであった。
1969年に神学校を卒業し、最初の教会が東京の青山教会であった。当初は伝道師として、そして副牧師として4年間務める。その後は宮城県の陸前古川教会に赴任したのであった。赴任して2年目であったと思うが、東北教区の総会が開かれたとき、新しく議長と副議長が選任されたのであるが、その二人が私に書記になってもらいたいと打診してきたのである。赴任して間もないこともあり、当然お断りする。その後、教区の教育委員等は引き受けて活動するようになる。5年も経過するうちにも東北教区宣教部の書記を担うようになっていた。しかし、活動の半ばで大塚平安教会への転任となる。その時、教会の一人の婦人が言われたことが忘れられない。「先生はこんな田舎の教会でくすぶっている人ではない。都会に出て大きなお勤めをされる方です」と言いつつ、私を神奈川の地へと送り出してくださったのである。神奈川は私の生まれ育った地であり、まさに、水を得た魚のようになったことは確かである。やはり大塚平安教会に赴任して2年目に、神奈川教区の書記を要請されたが、まだ良く分らないからと辞退する。しかし、4年目にも要請され、もはや辞退できない。その後は書記を4年間担い、常置委員、研修委員等を担う。そして神奈川教区副議長を2年間、議長を4年間務めることになる。神奈川教区の総会議長を退任した後は、日本基督教団の教師委員会委員に選任されることになる。2年間を務めたが、他の委員の皆さんは、今度は教師委員会委員長に推薦する予定であったという。それが、とんでもないところでひっくり返されたというのである。2002年10月29日から31日まで、池袋のホテルメトロポリタンで開催された日本基督教団の総会で書記に選任されてしまうからである。
教団の役職は一期2年の任期である。一期で退任される人もいるが、私の場合は四期8年も書記を担うことになる。書記は議長と副議長が総会議場に推薦して決められる。だから山北宣久議長が、自分が議長の役目を担う期間、私を書記に推薦してくれたのである。山北宣久議長が四期8年務めたので、私も同じ期間の務めを担ったのである。もともと私と山北宣久先生とは親しくもなく、ほとんど付き合いもない。まったくないというのではなく、私が青山教会時代にお交わりがあった。お互いにまだ駆け出しであり、何かの集会で一緒に作業をしたことがある。その程度の接触であるが、山北宣久教団総会議長は書記として議場に推薦してくれたのであった。そして2010年10月26日から28日に開催された日本基督教団総会で退任となる。まず議長選挙が行われ、夜の会議で新しい議長が決まったので、山北議長は議長席から降りることになる。二日目の午前中に新しい副議長が決まる。そこで昼食休憩となる。私はまだ教団書記なのである。そして、昼食後の午後の会議で、新しい議長と副議長が新しい書記を議場に推薦する。そこで新書記が決まり、私も議長団の席から降りたのであった。書記であったが、議場にいる500人の皆さんが拍手して労をねぎらってくださったのである。そして、神奈川教区の自分の議員席に赴いたとき、東京教区の議員席で一人の人が立ち上がって拍手しているのを見る。山北宣久先生であった。私は先生のもとに行き、握手しながら、お互いに「ご苦労さまでした」と労いあったのである。
大塚平安教会は2010年3月に退任し、続いて4月から9月まで横浜本牧教会の代務者を務め、10月からは無任所教師になったのであるが。日本基督教団書記の務めは最後の最後まで担うことになる。その重い日本基督教団書記の務めが現役の最後の職務になったということである。「先生は大きな務めをされる方です」と言いつつ、私を送り出してくださった東北の教会の婦人の言葉を、しみじみと示されながら、総会が開催された池袋のホテルメトロポリタンを後にしたのであった。



日本基督教団の総会書記に選任され、議長団の席に座る。




常議員会で書記としての務めを果たす。



毎年、新任教師オリエンテーション天城山荘で開かれている。
教団三役は必ず出席することになっている。
前列右から6人目。