鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

バルセロナ滞在記「聖誕の門を仰ぎ見つつ」<50>

バルセロナ滞在記(2014年10月21日〜)<50>
2014年12月28日「今日もいろいろな体験をして」



 今日は日曜日である。礼拝をささげる日であり、六浦谷間の集会バルセロナ礼拝をささげることになっていたが、いろいろな予定が重なり、明日の29日に日本語礼拝をささげることにした。今日は下山由紀子さんが出席しているプロテスタント教会に出席することになっており、昼食はサンタコロマにお住いのカルミナさんのお宅でいただくことになっている。そして夜はサンタコロマでホセ・ルイス神父さんが館長のカルチャーセンターで「詩を読む会」が開催され、そこで羊子のピアノ演奏が予定されている。その様なこの日の予定なのである。
 日曜日なので、まず羊子は午前9時からのサグラダ・ファミリアのミサの奏楽に出かける。その時間には私達も起床して下山さんの教会に出席するため準備をしておく。もはや出かけられる支度はできていたとき、イグナシさんが帰ってきて、隣のロリーさんが転倒してけがをしていると報告してくれる。玄関をあけて正面がロリーさんの家であるが、ロリーさんの玄関内でロリーさんが電話しており、羊子が付き添っている。顔面を打ったようで血を流している。羊子が手当てをしてあげているが、そこには医療関係の男の人、女の人も来ていた。それらの人に連絡したようである。そしてすぐにイグナシさんが救急車を手配したようである。玄関付近には血がついている部分がある。既にふき取っているのであるが、まだ残っているのである。やがて救急隊の人が来て、ロリーさんの状態を観察し、どこの病院に連れて行くか、交渉しているようであった。ロリーさんは椅子に腰かけているが、やはり血が流れるほどの転倒であり、動転しているようであった。やがて病院が決まり、救急車で運ばれて行った。羊子は一緒に付き添ってあげたかったのであるが、これから礼拝に行くのでできない。ロリーさんの家族の皆さんには連絡してあげたのである。
 礼拝は午前11時からの開会である。出かける前にハプニングがあったが、何とか間に合う。さほど大きくもないプロテスタント教会である。Piedra de Ayudaとの名称である。日本的に読めばアユウダ教会というのだろう。こちらの教会は二人の牧師がおられ、若い牧師が司会をしていた。讃美歌を歌うときには男性の信徒が前に立ち、会衆の賛美を導いていた。奏楽はピアノであり、男性の信徒が担当していた。まず教会の主題が宣言され、お祈りがささげられる。そして会衆賛美である。そして2014年の主題聖句が読まれる。次に新来会者が紹介される。今日はバルセロナ日本語で聖書を読む会のメンバーが讃美歌を歌うことになっているので、私達も出席したのであるが、他のメンバーも初めて出席された方もあり紹介される。日本の教会では礼拝が終わってから、新しい人を紹介しているのであるが。こちらのカトリック教会もミサが終わってから紹介する場合が多いと思う。随分と異なる取り組みである。聖書は申命記28章1-2節、詩編21編3節、119編56節、箴言28章20節、マラキ書2章2節が読まれる。これは説教テキストではない。教会歴の聖書日課のようである。そしてその後は祈りと賛美の時となる。会衆のリクエストにより賛美歌が歌われる。また希望者がお祈りをささげる。これが時間制限もなく、何人のリクエストとの決まりもなく、リクエストがある限り続くそうである。今回も結構長くリクエストがあり、希望者のお祈りがあった。もうこれだけで1時間も費やしている。そのあと献金がある。まだ御言葉の取り次ぎはないが、先にささげるのである。賛美があり、説教の御言葉が読まれる。ここで日本人による賛美が歌われる。バルセロナ日本語で聖書を読む会の皆さんで、下山さん、美沙さん、まどかさん、連れ合いのスミさん、そして羊子、私の6名であった。羊子が奏楽を行う。賛美は讃美歌21の254番「小鳥も飛び去る冬のさなか」である。その賛美が終わるといよいよ説教になる。説教は「あの血の奥義」と題して、マタイによる福音書2章13節からの御言葉を取り次ぐ。説教者はこの教会の主任牧師でロベルト・ベレルト師である。70歳前後かと思われる。いやはや驚いたことに1時間以上もお話をしていたと思う。下山由紀子さんが日本語に訳しては我々にメモを回してくれるので、だいたいの内容は理解できたと思う。マタイによる福音書2章13節だけが説教に対する聖書である。この様に記される。「占星術の学者たちが帰っていくと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。『起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。』」。この聖書はヨセフと主イエス様が血縁関係にないことを示していると言うのである。なぜなら天使は、「子供とその母親」と言っているのであり、「自分の子供とその母マリア」とは言っていないと言うのである。この表現はイエス様がヨセフとは血縁的には関係ないことであるとしているのである。これが一つの「あの血の奥義」である。さらにイエスを殺すためにヘロデ王は、「二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた」と聖書は記しているとし、そこで殺されず生き延びた子供もいる。生き延びて成人してから、「イエスを十字架につけよ」と叫んだと述べるのである。自分は生き延び、後にイエスを殺したと理解するのである。説教を批判するつもりはないが、負の部分がイエス様の救いになっていくと示されたようである。すなわちイエス様にとって私達自身が負であると述べ、そこに救いがあるとしているのである。
 今まで数回であるがカトリック教会のミサに出席し、わずか45分のミサで喜びつつ帰っていく人々を示されているが、今日はプロテスタント教会に出席し、2時間も要する礼拝に、少しく疲れを覚えつつ教会を後にする。熱心な教会であると思った。教会はみんな熱心であるが。



プロテスタントのアユウダ教会礼拝。



会衆の皆さん。約40人くらいの出席である。



礼拝にてバルセロナ日本語で聖書を読む会の皆さんが聖歌を歌う。
奏楽は羊子。



夫婦で皆さんと一緒に賛美する。