鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

バルセロナ滞在記「聖誕の門を仰ぎ見つつ」<46>

バルセロナ滞在記(2014年10月21日〜)<46>
2014年12月24日「主のご降誕に向かう」



 いよいよクリスマスを迎えている。今回、バルセロナに長期間滞在しているのは、娘の羊子の結婚式と共に、丁度時期的にもクリスマスを迎えるときとなり、それで10月21日より2015年1月7日まで滞在することにしたのである。クリスマスを体験したいとの思いがあったからである。その希望は十分すぎるほどかなえられることになる。24日の夜は羊子がいつも奏楽奉仕をしているカトリック教会、パロキアの教会のクリスマスのミサに出席する。そして、24日の夜12時から主のご降誕のミサある、ミサ・デ・ガージョがどこの教会でも開かれたのであるが、私達は出席しなかった。「ガージョ」は「にわとり」の意味である。「にわとりが鳴く頃にイエス様が生まれた」と言う意味なのであろうか。24日は午後7時からのクリスマスのミサに出席し、25日は午前9時からのサグラダ・ファミリアのクリスマス・ミサに出席し、さらに25日は親しくさせていただいているホセ・ルイス神父さんの教会に於けるクリスマスのミサに出席することになっている。そのため24日の夜12時からの降誕ミサには出席しなかったのである。これらのミサの状況については順次記していく。。
 その前にスペインにおけるクリスマス事情について報告しておこう。スペインは国民全体がカトリック教会に所属するのである。そのあたりのことは、日本のキリスト教を比較する根本的な違いがあるということである。すなわち国民はカトリックの信者であるが、日本の場合は個人の信仰である。そのことを受け止めておかなければならないのである。11月下旬あたりからクリスマスグッズを売る屋台がたくさん出るようになる。待降節が始まる頃からである。サグラダ・ファミリアの西側の公園や歩道に出店されていた。毎日大勢の人々で賑わっていたのである。それが12月23日の夜頃から屋台の片づけが始まり、24日の昼頃にはあれほど賑わっていた屋台が跡形もなく撤去されていたのである。日本人的な考え方であるならば、クリスマスは24日、25日であるから、この日こそ商売をすべきだと思う。ところが出店している人たちも24日の夜、25日は人々と同じ様にクリスマスを家庭でお祝いしたいのである。クリスマスは自分の家でお祝いするのである。だから24日のスーパー・カブラボは買い物客でにぎわっていたと羊子が報告していた。25日、26日は全てがお休みになり、そのため24日に買い物が集中するのだという。日本の場合は、その家がキリスト教の人であれば家族のお祝いがあるが、信者は個人であるので、家庭でクリスマスをお祝いすることはない。その代わり教会で皆さんとお祝いするのである。大塚平安教会の場合もクリスマスには皆さんが持ち寄りの食事であり、楽しい集いとなっていた。しかし、家庭でのクリスマスのお祝いはない。一般的にはクリスマスということで、楽しい食事をする家庭もあるということだ。
 さて、午後7時からは毎週日曜日のミサの奏楽をしているパロキアのクリスマスのミサに出席はする。いつもはそれ程出席してなく、多くても30名くらいであるが、さすがにクリスマスなので家族で出席している。100名くらいは出席していたのであろうか。カトリック教会のミサには毎週出席しているのではないが、数回出席しているうちにも、いろいろと考えさせられている。開かれた礼拝、ミサであると示されたている。ミサには教会に所属する人が、いろいろな形でミサに関わっている。聖書を読む人、お祈りする人、これらの人は特別の人ではなく、教会に所属している人なのである。24日のミサの終わりにはいろいろな人々が聖壇に上がり、それぞれのお祈りをささげるのである。両親のためにと言って若い女性がお祈りしている。お友達のためにと言って少年がお祈りしている。平和のために、病気の人のために、貧しい人のために、自然に口から出てくるようなお祈りをしているのである。主イエス様のご降誕のミサなので、小さい子供たちが最初から聖壇に座っている。騒ぐこともなく、聖壇から下りたり、上がったり自由にしているが、自然な形でミサに参加しているという思いを与えられるのである。常々、思うことは、寧ろ日本の教会のほうが堅苦しくて、なかになか礼拝に入り込めないのではないか。説教も長いし、リラックスして礼拝に臨むということが無いのではないか。ミサの終わりには必ず聖餐式がある。聖餐を受ける前に左右、前後の人と握手したり、ハグしたりして「あなたに平安があるように」と祈りあうのである。聖餐式が終わると、それでおしまいなので順次帰るのであるが、クリスマスなので神父さんが抱いているイエス様の人形にキスをして帰るのである。イエス様は石膏で作られていて、キスしたところを布でふき、次の人がキスをするのであった。救い主イエス様に対する絶対的な信仰なのである。



パロキアの教会。クリスマス・ミサ。



いろいろな人たちが順次お祈りをささげる。



みんなで手を繋ぎ、家族一つになる。



ミサの奏楽をする羊子。