鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

バルセロナ滞在記「聖誕の門を仰ぎ見つつ」<43>

バルセロナ滞在記(2014年10月21日〜)<43>
2014年12月18-21日「フィレンツェの旅(2)」



 19日、ホテルの近くにある教会の鐘の音で目が覚める。ガランガランの騒音と思える鐘の音よりも、むしろ街の騒音で目がさめたということである。街の中心にあり、道路に面しており、近くには広場がある。ごみの収集と思える音、車やその他のさまざまな音がうるさいのである。羊子の家は7階の最上階であり、サグラダ・ファミリアの楽しい鐘の音以外はほとんど聞こえてこない。このホテルの三階に宿泊しているが、騒音には閉口する。午前8時頃になって朝食の間に行く。いつもは9時30分、10時頃の朝食であるが、フィレンツェは日本時間と同じようだ。朝食は簡単なもので、パンとバター等塗り物、いくつかの飲み物くらいである。これで十分である。朝食の間に行くと日本人と思われる夫婦が既に食事をしていた。連れ合いのスミさんがさっそく話しかける。数日前にフィレンツェに来たが天候が悪く、雨の日が多かったという。今日はフランスに戻りも、それから帰国するのだと言われる。東京の練馬の夫婦で会った。我々のことを聞くと横浜市金沢区にはご親戚がおられるとも。どこに行っても日本人と会うし、それも結構近くの方なのである。今まで雨であったが今日は良いお天気であった。
 さて今日からフィレンツェ見学が始まる。まず訪れたのはメディチ家礼拝堂である。ここで歴史を紐解く必要はないが、フィレンツェを訪れている以上、メディチ家くらいは知っておく必要がある。メディチ家の先祖は誰も知らない田舎の一族である。それが次第に頭角を現していくのは財産による。その財産は薬で富を築いたと言われるが、詳しいことは知られていない。そして後に1400年代になるがメディチ家ヨハネス23世が出現するのである。メディチ家フィレンツェの繁栄を担い、教会の頂点を担った存在であったことだけは心にとめておく必要がある。既に政治権力を失ったメディチ家が17世紀に、その富と虚栄を誇示するために建てたのがメディチ家礼拝堂である。君主の礼拝堂はその豪華さに驚く。ここにはミケランジェロの設計、製作が置かれている。「ロレンツォ2世の墓」として「黄昏」と「曙」の彫像が置かれている。この後に見学するさまざまに芸術、美術品について、一つ一つ紹介するとしたら枚挙にいとまがない。訪れた場所くらいは報告しておこう。
 アカデミア美術館、パラティーナ美術館、ウッフィツィ美術館、サン・マルコ美術館、花の聖母教会ドォーモ・カテドラル等、その他いろいろと見学する。アカデミア美術館ではあの有名なミケランジェロダビデ像、パラティーナ美術館ではラファエロの「椅子の聖母」、ウッフィツィ美術館ではボッティチェッリの「春、プリマヴェーラ」、「ヴィーナスの誕生」、サン・マルコ美術館ではアンジェリコの「受胎告知」等、日本にいるときにも美術書等で鑑賞している実物の前に立つことができ、感動している。教会の中に展示されているキリストの誕生物語、十字架物語は、特に待降節のこの時、クリスマスの意味と救いの出来事をよりよく示されたのであった。
 大体は19日と20日に見学している。21日は考古学博物館を見学することにしたのである。というのは羊子の彼、イグナシさんは考古学に興味を持っており、ローマの遺跡を見学するときには地面を見つめて歩くのであった。今でも当時のものが地面にあるからである。帰る日の21日は荷物をまとめ、フロントに預け、その後は街を見学するために出かけたのである。まず、フィレンツェに来た日の夜に立ち寄ったカトリック教会に行く。午前11時からのミサに出席したのである。なんとそのミサで羊子が奏楽しているのである。実は前日の夜、羊子とイグナシさんが夜の街を散歩しているうちにも、先日オルガンコンサートをしていた教会に立ち寄ったのである。ミサが行われており、終わってからパイプオルガンコンサートについて尋ねる。すると神父さんは、あれは演奏ではなく、録音したものを流していたのであると本当のことを話してくれる。羊子はサクラダ・ファミリアでミサの奏楽をしていることを話すうちにも翌日のミサの奏楽奉仕をすることになったのである。ミサには20人くらいの人が出席していたが、いつもは録音の曲なのに生の奏楽があり、感動したと言われる。
 ミサが終わり12時過ぎには考古学博物館を目指す。ところがなかなか探すのが大変であった。市内の美術館は大勢の人が訪れているのであるが、考古学博物館に訪れる人は少ない。もっとも日曜日で閉館時間が迫っていたので少ないのであるが、館内には我々の他は数人しかいなかった。わずか1時間であるが、紀元前からのヨーロッパの歴史的考古学を見学することができて良かったと思う。



朝の食事。窓辺にいるのは日本人夫婦。



ミケランジェロの「ロレンツォ2世の墓」として「黄昏」と「曙」の前で。



ミケランジェロの「ダビデ像」の前で。



アルノ川にかかるヴェッキオ橋の上で羊子夫婦。
橋の上にはいろいろな店、貴金属類の店が多い。