鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<264>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<264>
2014年6月28日「諸課題を担いながら」


聖書の言葉
またある日、主の前に神の使いたちが集まり、サタンも来て、主の前に進み出た。主はサタンに言われた。「お前はどこから来た。」「地上を巡回しておりました。ほうぼうを歩きまわっていました」とサタンは答えた。主はサタンに言われた。「お前はわたしの僕ヨブに気づいたか。地上に彼ほどの者はいまい。無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けて生きている。」
ヨブ記1章1-3節)



本日の6月28日は日本基督教団神奈川教区の定期総会が横浜の清水ヶ丘教会で開催される。今回で第132回の開催である。午前10時から開催であるのに、私はと言えば午前9時30分現在、書斎でパソコンに向かいブログを書いているのである。隠退牧師でも准議員として登録されており、総会開催案内や議案資料等も送られているが出席するつもりはないのである。しかし、神奈川教区の総会ということで、いくつかのことを心に示されており、ここは書き留めておきたいのである。このブログは6月18日以来書いていない。何か書きいと思いながらも書くことが思い当たらない。歴史との関わりについても、今までも随分と書いてきたし、本当に何を書いてよいか、足踏みしていたのであった。10日ぶりに書こうと思ったのは、前記したように、今日は神奈川教区の定期総会であり、いくつかのことが思い出されているので、書き留めておきたいと思った。それと、最近の作業は、2010年10月から無任所教師になり、その時点の9月25日からブログを復活させており、2011年4月1日まで続けたので、今になってその整理をしているのである。そこでお休みにしているのは、4月4日から5月18日まで、スペイン・バルセロナにいる娘の羊子のもとに行くからである。無任所教師として半年間ブログを記したとき、現役時代の大切な取り組みを回顧しており、これはぜひ冊子にしたいと思うようになった。現役時代にとりくんだことを私の功績として書くつもりはないが、私がどのように諸課題の責任を担ったか、まとめておきたいと思うようになっている。
1979年9月から大塚平安教会の牧師に就任する。同時にドレーパー記念幼稚園の園長、大塚平安学園理事長としても就任し、重い責任を担いながら歩みだしたのである。その様な状況の中で、忘れられない言葉が胸の中にあった。前任の陸前古川教会を退任することになったとき、一人の老婦人が、「先生はこんな小さな教会でくすぶっているのではなく、都会の大きな教会で働くべきです」と言われたのであった。「くすぶって」いたのではないが、やはり地方の教会はそれほど職務がないということである。大塚平安教会に就任することにより、幼稚園の園長、法人の理事長、教会と関わる二つの施設の嘱託牧師も担うようになる。教会も大きいので様々な集会に臨む。その頃は40歳代である。その年代の活躍が望まれるもので、湘北地区の委員長や教師会会長を担うようになり、次第に中央の活躍が求められるようになるのである。神奈川教区の書記、副議長、議長等も担うようになっていく。横浜保護観察所の保護司、八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員等も担う。そして日本基督教団の教師委員会委員を2年、日本基督教団総会書記を8年も担うようになる。これらの職務を担うとき、あの陸前古川教会員の婦人の言葉がよみがえって来るのである。祈りつつ私を都会の教会へと送り出してくださったのであるから、どんなに忙しく、重い職務であろうとも担わなければならないと思っていたのである。
総会では議長、副議長、書記が壇上の議長席に座る。教区書記を4年務め、副議長2年、議長4年担ったので、10年間は議長席に座っていたことになる。そして日本基督教団の書記に就任し、こちらでも8年間は議長席に座っていたのである。18年間も高いところにいたが、その他では諸委員会の委員として活躍してきたのである。これらの責任を持ちながら、私はそれなりに活躍してきたと思う。前記したように功績とは思わないが、私が関わった、そして歴史的にも大切な事柄をまとめておくことにしたい。それは2010年9月25日からの再開ブログに記していることであるが、全部を読まなくても、まとめておきたいのである。それは順次記すことにしよう。
神奈川教区にしても日本基督教団にしても三役を担うことになると、総会に向けてはそれなりの忙しさがある。神奈川教区であれば三役と主事を中心に準備が進められる。日本基督教団は決議機関と執行機関があり、執行機関は総幹事を中心に幹事、事務職員が担っている。そのため決議機関の書記は準備に直接にはかかわらないが、記録上のことなどで綿密な準備が必要なのである。そして神奈川教区時代にしても、日本基督教団時代にしても、総会当日は心を引き締めて出かけて行ったものである。神奈川教区時代は2000年の頃、日本基督教団時代は2010年の頃であり、まだそんなに昔でもない。まだ余韻が残っているのであろうか。今頃は神奈川教区の総会が始められていることを示されながら、責任を担っていた時代を思い出していた。



毎年、2月と6月に清水ヶ丘教会を会場に総会が開催される。