鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<256>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<256>
2014年5月28日「決断をするとすれば」


聖書の言葉
あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。
申命記10章19-20節)



「神の庭・サンフォーレを支える会」が発足して15周年を迎えており、「15年記念号」として会報の別刷りを発行したことについては、5月21日のブログに「この務めを委ねられ」と題して記している。キリスト教シニアホームの支援を有志により立ち上げ、「支援する会」により応援しているのである。神奈川教区の中で、立ち上げまで奔走したが、立ち上がってからはしばし距離を置くことになる。「支援する会」が立ち上がった頃、日本基督教団教師委員会の委員に選任され、関西との間を行き来しながら委員会活動をつづけたのであった。一期2年であるので、二期目も教師委員会の委員に選任される方向であった。しかし、思わぬ方向を歩むことになるのである。日本基督教団の総会書記として選任されるからである。いわゆる教団三役の一人として、重い職務を担うことになり、全国にある17教区を行き来しながら務めたのである。こちらも一期2年の職務であるが、総会議長と共に再選が繰り返され、四期8年も務めることになったのである。職務が終わったときは2010年10月であった。その年の2010年3月で30年間務めた大塚平安教会牧師を退任し、4月から9月までは横浜本牧教会の代務者を務めることになる。そして10月からは無任所教師の身分になり、教団の職務も終わり、晴れてすべての職務から解放されたのである。しかし2011年には、「神の庭・サンフォーレを支える会」の委員長を担うことになるのである。10年ぶりに「神の庭・サンフォーレを支える会」に戻ってきたとき、高齢者支援の取り組みから「支援する会」を立ち上げるまでの立役者であったのであるからと私を委員長に推薦したのである。「支える会」は委員の皆さんが具体的な職務を担ってくださっているので、委員長は名前だけの存在のようでもある。もうしばらくは「支える会」の委員長としての職務を担うことになる。
長い導入であるが、以上が前置きである。5月27日「シルバさん家族を支援する会」が我が家で開かれた。いつもは大塚平安教会を会場に開催するか、横浜駅近くにある県民センターのボランティアルームで開いている。今回は、大塚平安教会の新会堂建設が始まっているし、連れ合いのスミさんが、あまり出歩くことを差し控えているので、委員の皆さんには我が家においでいただいたのである。「支援する会」が発足し、当初から委員としてお働きくださっている大塚平安教会員の小室きよみさん、古屋弘子さんが遠距離をわざわざおいで下さったのである。もっとも、過去においても支援委員会は我が家を会場に開催している。またお二人はシルバさん家族と共においでくださってもいる。
シルバさん家族については、折に触れて報告しているが、かいつまんで再び報告しておく。シルバさん家族を支援する会を立ち上げたのは2008年12月末であった。その11月に働いていた会社に入国管理局が立ち入り、ビザなしの人を働かせてはいけないという指導が入る。それからは社員寮を出なければならず、急遽大塚平安教会別館に住んでもらうことにしたり、「支援する会」を立ち上げて、今日まで支えつつ歩んできているのである。シルバさんは2002年に日本に渡り、2004年にはお連れ合いのチャマニさんと二人のお子さんが日本に来る。二人のお子さんについては順次幼稚園で受け入れている。その様な関わりで、2008年6月から不法滞在としてのシルバさん家族の仮滞在保証人になることになったのである。入国管理局はシルバさん家族の難民申請を却下する。そのため、今は裁判に訴えて、難民申請として認めるよう争っているのである。今は地裁であるが、6月には最終弁論となり、8月には結審となる。
問題は今後のことである。裁判の結果、矢張り難民として認められないとなったとき、シルバさん家族はこのまま日本に住み続けたい希望があり、不法滞在を続けることになる。そこで強制送還されるのか。しかし、日本の労働力不足から外国人採用に動いている日本の姿勢に期待するのか。いずれにしても「支援する会」は限界にきているということなのである。シルバさん家族の状況を知る人が少なくなっているということである。今まではシルバさんの子ども達が幼稚園に在籍したので、園長が支援していることもあり、保護者の皆さんも応援してくれていた。しかし、子ども達は小学校上級、中学生になっており、彼らの状況を知る人も少なくなっているのである。今は彼らを支援する募金をしていない。今後、この家族が日本に住み、子ども達を成長させるのは困難という他はないのである。
むしろ故国に帰り、新しい絆をつくりあげながらも子ども達の成長を見守ったほうが良いのではないかと思うようになっている。それは今こそ決断しなければならないと思っている。



いろいろと今後のことを話し合い。


庭の草花でも話の花を咲かせ。