鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<255>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<255>
2014年5月24日「この歌声に励まされ」


聖書の言葉
わたしの魂よ、主をたたえよ。私の内にあるものはこぞって聖なる御名をたたえよ。わたしの魂よ、主をたたえよ。主の御計らいを何ひとつ忘れてはならない
詩編103編1-2節)



横浜にはサウンドブリッジ合唱団があり、そのコンサートが横浜みなとみらいホールの大ホールで開催された。創立25周年記念コンサートということで、「日本の歌」(童謡、民謡、愛唱歌)、J.ハイドン作曲「ミサ曲第7番ハ長調 戦時のミサ」を公演した。5月23日のことである。このような公演には、望んで出かけることはないが、知人からチケットをいただいたので、これは何よりの機会と、連れ合いと共に出かけたのであった。みなとみらい地区が造られ、目覚ましい発展を遂げているが、あまり訪れる機会もなく、出かけることも少ない。それでも大塚平安教会の教会員がみなとみらい地区にある「けいゆう病院」に入院していたのでお見舞いに行ったことがある。それから2009年はプロテスタント日本伝道150年であり、パシフィコ横浜の大ホールで記念集会が開催されたので赴いている。何だか外国にいるような思いでみなとみらい地区を歩く。と言っても会場は「みなとみらい駅」から徒歩2分であるから、たいして歩かないのであるが。
横浜みなとみらいホールの大ホールは2200名が入場できると言われる。今回の入場者は2階、3階にあまり見られず、ほとんど1階席であるので、1500名くらいは入場していたのかもしれない。サウンドブリッジ合唱団は混成であるが、120名のうち男性は12名である。他は女性であるが、年配者が多い。ここもそうなのかと思う。「ここも」というのは、過去において横浜市大のエクステンション講座を受講している。その講座の受講者も年配の女性が多かったのである。過去4回の講座を受講している。「ヴェネツィアルネサンス絵画の巨匠たち」(海の都の芸術を探求する)、「マレーシアを知る」(歩き方、住まい方)、「イスラームの歴史と教義」(イラン映画に見る女性と社会)、「イタリア・ルネサンスの3大巨匠」(天才芸術家の名作探求)であるが、絵画関係の講座は年配の女性が圧倒的に多かった。皆さんは熱心に受講されていた。マレーシアの講座は、マレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴く前であり、夫婦で受講したのである。マレーシアはイスラームの世界であり、滞在している時に横浜市大のエクステンション講座の案内がメールで知らされる。「イスラームの歴史と教義」は大変興味があり、マレーシアから申し込んだのであった。「ここも」ということで、余計なことまで記したが、年配の女性が活躍していることは、誠によろしいことであり、世の男性も、女性を見習っていろいろな分野で活躍するべきなのだ。ただ、年配なので体調管理をしながら活躍しなければならない。実際、この度の公演において、「戦時のミサ」という大曲の合唱は、かなり体力を消耗するようである。一人の女性団員が公演中にも具合が悪くなり、係員の介助を受けながら退場していった。体力の消耗と緊張のためであろう。
120名の合唱団と38名の東京ニューシティー管弦楽団の演奏は迫力があり、良い公演であると思った。第1部の「日本の歌」は、古くから親しまれている童謡、民謡の合唱である。120名の皆さんが歌うので、迫力があるというものである。第2部はハイドンの「戦時のミサ」であり、40分も歌い続けるのは大変であると思う。全体的には良いコンサートであると思った。その様な感想を述べながらも、いくつかのことを示されている。合唱中はプロジェクタースクリーンに字幕で紹介される。その字幕が間違いではないが、別の言葉で言われていることがいくつかあった。たとえば「聖霊」を「精霊」としたり、「処女(おとめ)マリア」を「乙女マリア」、「信仰告白」を「信仰宣言」としている。しかし、プログラムは間違っていないので、プログラムに従って字幕にするべきなのだ。歌詞のすべてを字幕にあらわすのではなく、主題を字幕にしている。「主よ、あわれみたまえ」、「聖なる、聖なる」、「世の罪を除きたもう主よ」と字幕が現れ、高らかにその部分が歌われていく。ハイドンは、オーストリアフランス革命後に台頭したナポレオン軍に侵攻された時期にこの「戦時のミサ」を作曲している。そして、ナポレオン軍の砲声を聞きつつ77歳で息を引き取ったと言われる。信仰をもって作曲し、「主よ、あわれみたまえ」と歌っているのである。信仰の歌であるが、合唱として芸術的に歌われているということである。合唱する人々は必ずしもキリスト者ではない。当日のプログラムには、次回の公演はヘンデルの「メサイア」であり団員を募集している。これもいろいろな合唱団が公演しているが信仰の歌なのである。信仰の歌を芸術として拝聴するのか、信仰的に示されるのか。どちらでも歌う人々が心から歌っているのであるから、それを受け止めるべきなのであるが…。信仰が無ければ歌ってはいけないなどと、そんなことを言っているのではない。信仰の歌を、信仰を持たない人が歌うことで、なんとなく割り切れない思いがあるということである。



サウンドブリッジ合唱団の公演案内。



横浜みなとみらいホールの大ホール。