鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <77>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<77>
2012年3月28日 「共に生きるために」 


聖書の言葉
あなたたちの神、主は神々の中の神、主なる者の中の主、偉大にして勇ましく畏るべき神、人を偏り見ず、賄賂を取ることをせず、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった。あなたの神、主を畏れ、主に仕え、主につき従ってその御名によって誓いなさい。
申命記10章17-20節)



 娘の羊子が帰国する。26日にスペイン・バルセロナを出発し、成田には27日午前8時前には到着した。いつもなら三女の百合子が車で迎えに行くのであるが、今回は仕事の都合で行かれない。だから私が迎えに行くと言うと、電車で帰るから大丈夫であると断られる。もう高齢者だから車の長時間の運転を心配してのことである。羊子は、荷物は空港から宅急便で送り、京成線・京急線を乗り継いで帰宅した。午前11時頃、金沢八景駅に迎えに行く。元気に帰国したことを喜んだ次第である。羊子はスペイン・バルセロナに渡り、既に12年を経ているが、やはり現地の皆さんに温かくされながら、今日のピアノ演奏家として歩んでいるのである。
 帰国した羊子との生活は、いずれ書くことにして、日本にいる寄留者との交わりを記しておくことにする。25日の日曜日にスリランカ人のシルバさん家族がお訪ねくださった。昨年の夏、8月に大塚平安教会の小室きよみさん、古屋紘子さんに伴われて家族の皆さんがお出でくださっている。皆さんと共に楽しく過ごしたのは、つい先日のように思っていたが、もう半年を経ている。その時、また遊びに来ると言いつつお別れしたのであるが、なかなか来る機会がなかった。それに、この家族だけで綾瀬から横浜の我が家まで来ることができるのか、心配でもあった。春休みになり、いよいよ来ることになった。道順や地図などをファックスで送っておいた。25日は日曜日であり、午前10時30分前には無事に着いたので、一安心である。この時間に来るようにしたのは、一緒に礼拝をささげるためである。いつものように六浦谷間の集会でささげる礼拝の準備、説教にしても週報にしても用意していたが、へシャン君やメヌシャちゃんもいることだし、子どもの教会として礼拝をささげたのである。だから、礼拝順序にしてもお話にしても用意したものとは異なる。礼拝後は近況について語りあう。


 シルバさん家族については御存知の方もおられるが、改めて紹介しておく。スリランカ国に住んでいたシルバ家族は迫害と脅迫を受けるようになる。ディアプラゲ・ウペンドラ・シルバさんはお父さんの思想を受け継ぎながら一つの政党を支持していた。しかし、時の政権は反対の立場であり、それにより何かと迫害を受けるようになるのである。そのような状況で、ウペンドラ・シルバさんは韓国に渡るが、2002年3月に日本に来て働くようになる。そして、2年後の2004年9月にお連れ合いのダサナカヤ・チャマニさんと二人のお子さん(へシャン、メヌシャ)が日本にやってきた。しかし、観光ビザで来日しており、既にビザは切れている。そのため不法滞在者となっている。収監され、強制送還になるところであるが、シルバさん家族が日本滞在を希望しており、スリランカに帰国すれば身の危険があるので、入国管理局は要望を受け止め、当時、大塚平安教会牧師でありドレーパー記念幼稚園の園長であった私が保証人になることで「仮放免」を与えてくれているのである。
シルバさんはトピーの派遣会社によりトピー工業で働いていた。しかし、2008年11月頃、入管が立ち入り、会社で働く不法就労者を調査する。滞在ビザがないのに働いている人達である。150人くらいの不法就労者が働くことができなくなる。日本で働き、日本で暮らすには難民として認定されなければならない。認定されないで日本にいる場合は不法滞在ということになり、強制送還ということになるのである。そのため、シルバさんは難民申請をしたのであるが、スリランカは紛争がおさまっており、難民としては認められず、申請は却下される。しかし、シルバさん家族にとっては、子ども達のためにも、平和な日本で暮らしたいのである。日本滞在ビザの申請を提出したのである。
シルバさんが会社で働くことができなくなったので、社宅からでなければならなくなる。収入もなく、住居もなくなるということで、「シルバさん家族を支援する会」を立ち上げる。私が責任者となり、小室きよみさん、古屋紘子さん、連れ合いのスミさんが事務局として支援活動をするようになったのである。2年間にわたり支援金を皆さんからささげていただく。生活物資等の支援の協力も。支援金については、シルバさんは働くようになったので、ひとまず終了しているが、それでもお寄せくださっている方がある。日本滞在のために1千名以上の皆さんが署名してくださり入管に提出している。また、嘆願書を皆さんに書いていただき提出している。入管の最終審査が終わり、今は結果を待っている状況である。
この春にへシャン君は中学に進み、メヌシャちゃんは小学校4年生になる。2004年に日本に来てから、シルバさんのお連れ合いチャマニさんは、随分と日本語が話せるようになっているが、読み書きがなかなか困難でもある。皆さんがシルバさん家族をご理解くださり、支えてくださっていること、心から感謝している。
へシャン君はドレーパー記念幼稚園の卒業生である。先日の20日春分の日に同窓会が開かれ、小学校を卒業した子供達が出席したが、へシャン君もその一人として出席した。その時、へシャン君は私たちにお礼としてお菓子とお手紙をくれたのである。私たちにとってまさに宝物となるお手紙であり、ここに紹介しておくことにする。


すみ先生、鈴木先生
すみ先生とすずき先生は、ぼくがまだ小さいころ、やさしく色々なことを教えてくださいました。そして、ぼくたちに色々なことに協力していただきました。ぼくは、そのことをわすれたことはありません。そして、ぼくは3月19日(月)に卒業式がありました。こうして卒業式ができたのは、すみ先生とすずき先生のおかげです。4月5日には、中学校で入学式があります。ぼくは中学校でもがんばります。今まで色々なことをしてくださってありがとうございました。へシャンより。


シルバさん家族が、心から願っているように滞在ビザが与えられ、末永く日本に滞在できるよう、私たちも祈り、また協力していきたいと思っている。