鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<342>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<342>
2015年6月13日「花を見つめ、子どもを見つめ」


聖書の言葉
野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は野にあって、明日は炉に投げ込まれる草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。
ルカによる福音書12章27-28節)


記念すべき「子どもの日・花の日」を、今年も6月14日に迎える。この日は私の人生の原点でもある。私の人世の原点とは、イエス・キリストを信じて生きてきた人生である。それはキリスト教に関わった67年間の人生でもある。私のキリスト教との出会いは、しばしば記しているが、かいつまんで記しておく。バプテスト系の関東学院教会の日曜学校に出席するようになるのは、私が小学校3年生の時である。その少し前、私の母が病院に入院している。日本の戦争の敗戦から3年を経ている時でもある。敗戦後まもなく、私の兄を亡くしている。栄養失調でもあり、肺炎で亡くしているのである。6月の第二日曜日、見知らぬ子ども達が病室を訪れる。そして、花を贈ってくれるのである。おそらく、「早く治ってください」と言われたのであろう。丁度、亡くした自分の子供くらいの子供たちであったのである。その後、退院した母は、その教会の日曜学校に私を連れて行き、花の日の御礼を述べ、今後は息子が出席しますから、よろしくお願いしますと述べているのである。「子どもの日・花の日」の行事は、その頃も行われており、日本基督教団ばかりではなく、諸教派の教会も行っていたようである。それが原点となり、以後、私は日曜日になると教会に行かせられたのである。中学になってからは,別のルートで教会に導かれ、教会員になっていた二人の姉たちの教会、清水ヶ丘教会に私も出席するようになるのである。
23歳で神学校に入り、29歳で卒業し、最初の教会、青山教会の伝道師・副牧師になる。4年後には宮城県の教会に赴任し、6年半務める。そして、1979年9月に大塚平安教会に就任するのである。40歳であった。私の原点が「子どもの日・花の日」であるので、1980年に迎えた6月第二日曜日は、近くの病院を訪問している。事前に病院に行き、打ち合わせをすることも結構大変であった。病院としては、入院患者をお見舞いしてくれるので、外科病棟を訪問させてくれたのである。足の怪我、交通事故で入院されている皆さんで、意識ははっきりしているし、大層喜んでくれる。後日、お礼の手紙までいただいたのであった。しかし、病院の方も何かと都合があるようで、数年後になると、訪問先は老人病棟であった。それでも良いのであるが、ほとんど知的後退で分らない人が多い。何もしないでお花を置いてくるだけであった。おそらく、そのお花を片付ける病院側も大変なのだろう。そんなことで病院訪問は辞めることにしたのである。大塚平安教会は二つの施設に関わっている。綾瀬ホーム、さがみ野ホームである。牧師はそれぞれの施設で毎週一回であるが職員の皆さん、利用者の皆さんと共に礼拝をささげていたのである。それで、花の日には二つの施設を訪問するようになる。
6月の第二日曜日、当初は午前10時から教会学校と大人の合同礼拝を行い、それから訪問していた。そうすると遅くなるので、午前8時30分には教会学校の子供たちは教会に集まり、二つの施設を訪問するようになる。そして、帰ってきてから合同礼拝をささげるようにしたのである。「花の日」の訪問があり、次に開かれる施設の礼拝に出かけると、利用者の皆さんは「今度、いつ来る」と聞くのである。まだ一年先ではあるが、「また今度ね」と言っておく。その後しばらくは、「今度、いつ来る」の質問は続くのであった。利用者の皆さんは、この「花の日」の訪問を喜んでいる。かつて、私の母も「花の日」の訪問を喜び、「自分の子供も、人様に喜んでもらえる人になってもらいたい」、そんな母の祈りが今の私の課題となっているのである。「花の日」の訪問は子ども達ばかりではなく、教会学校に関わる皆さん、保護者の皆さんも喜んで参加してくれるようになる。当時の「花の日」の写真を見つめながら、この花の日の行事に参加した皆さんは、その後どのように過ごしているのであろうか、と思うのである。この「花の日」のように一人の存在を見つめながら、現在も導かれていると信じている。かつて私がこの「花の日」を通して、人々を見つめる存在に導かれているのである。
花の日」に子供たちが花を持参して教会に集まること、教会の取り組みに参加しているのである。そのことを思うと、バルセロナの棕櫚の日を思い出す。棕櫚の日には、いつもはカトリック教会のミサには出席しない子供たちも、この日ばかりは「棕櫚の枝」を持って教会に集まるのである。棕櫚の枝は、前の週に露店商が売っている。高いお金を出して親が買ってくれる。それをもって教会に集まる。そして、神父さんと共に、棕櫚の枝を床に打ち付けながら、イエス様を歓呼して迎えるのである。花を持ち、棕櫚の枝を持ち教会に集まる、イエス様の御用に招かれていると示されている。イエス様の御用は、人々が祝福の喜びを持つこと、その御用に招かれているということである。なんか、今日も説教みたいになっちゃったなあ…。



大塚平安教会に就任した当初は、花の日訪問は病院であった。



その後、施設の訪問となる。
こちらはさがみ野ホーム。



こちらは綾瀬ホームの訪問。



バルセロナカトリック教会。
棕櫚の日には、棕櫚の枝を親に買ってもらい、
教会に集まってくる子供たち。2011年4月に撮影。