鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<318>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<318>
2015年3月26日「この数字が意味するところ」


聖書の言葉
あなたの御計らいは、わたしにとっていかに貴いことか。神よ、いかにそれは数多いことか。数えようとしても、砂の粒より多く、その果てを極めたと思っても、わたしはなお、あなたの中にいる。
詩編139編17-18節)


 ブログのアクセスが100,000をカウントした。自分ながらこの数字に感動している。この数字に到達したのは2015年3月24日頃であろう。もうすぐ100,000にもなると思いつつブログを公開していたが、いつの間にか100,000にもなっていたのである。ブログを書き始める動機については、これまでも繰り返し報告しているが改めて報告しておく。書き始めたのは2006年6月1日からである。その頃、もちろん大塚平安教会の牧師であり、ドレーパー記念幼稚園の園長を担っていた。幼稚園の設置者である大塚平安学園理事長であり、教会と関係する綾瀬ホームとさがみ野ホームの嘱託牧師を担っていた。そして八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員も担っている。さらに日本基督教団の総会書記という重責まで担っていたのである。これらは名誉職ではなく実働の職務であり、それはそれは忙しい日々であった。その頃、ドレーパー記念幼稚園に佐竹和平現園長が事務員としてお勤めいただいていた。若い彼は新しい取り組みを担ってくれており、幼稚園をネットで紹介するようになる。その年の春ころから、私にブログの執筆を勧めてくれたのである。牧師として、園長として、皆さんにお知らせすることが山ほどあるはすだと言うわけ。しかし、前記したようにブログを書く余裕はないと思っていた。もう、ブログの設定はしてあるので、後は原稿を書くだけですよ、と言われていた。と言われても4月になっても5月になっても書こうとしなかったのである。3月、4月は年度の終わり、また始まりであり、教会や幼稚園の職務で忙しく、ブログのことは忘れていたようである。
 その様な状況であったが5月の末頃になって、仕事が一段落したとき、ブログなるものを書いてみようと思ったのである。そして6月1日になって書き始める。当初は試行錯誤でどのように書いてよいかわからないままに、日々の歩みを書き始めたのであった。もともと書くことは厭わないので、書き始めると止まらなくなる。当初は写真を入れたりしていたが、もっぱら日記を公開するという形式になった。しかし2007年3月25日に筆をおくことになる。また年度の終わり、始まりを迎えたことにもよる。教会と幼稚園の様々な職務に追われていたからである。ブログを公開しなくなり、ほっとした思いであるが、しかし、なんとなく物足りない思いで過ごすようになるのである。そして、再びブログを書くようになるのは、大塚平安教会やドレーパー記念幼稚園を退任した半年後になる。2010年9月25日からである。その年の3月末に大塚平安教会を退任した後、4月から9月までは横浜本牧教会の留守番牧師を担い、合わせて同教会の早苗幼稚園の園長に就任する。これらの職務はその年の10月から新しい牧師が就任するので、いわば繋ぎの職務であったのである。9月も終わりを迎えていたとき、10月からはどこの教会、幼稚園の職務もなく無任所教師となるので、今までのことを書き留めておく必要があると思い、ブログの再開として公開するようになる。書き始めると、やはり毎日書くようになり、2011年4月1日をもって筆を止めたのである。4月4日からスペイン・バルセロナに1ヶ月半滞在するためである。バルセロナには娘の羊子がピアノの演奏活動をしているので、連れ合いのスミさんと二番目の娘、星子と共に出かけたのであった。ようやく念願がかなえられたのである。連れ合いのスミさんはそれまで二回も訪れていたが、多忙であったので行くことができなかったのである。
 スペインから帰国するや「スペイン滞在記」としてブログで公開する。そして2011年10月1日からは「隠退牧師の徒然記」としてブログを公開するようになるのである。今まで公開したブログはそれぞれ小冊子にまとめている。「スペイン滞在記」、「無任所牧師の所見」、「隠退牧師の徒然記」を1巻、2巻、3巻まで小冊子にまとめている。また、「受難の門を見つめつつ」(スペイン・バルセロナ滞在記)、「聖誕の門を仰ぎ見つつ」(バルセロナ滞在記)、「常夏の国にて」(マレーシア・クアラルンプール滞在記)等を小冊子にまとめたのであった。
 結局、2006年6月から書き始めたブログは2015年3月まで、1060日に渡り書いたということである。そして、この時、アクセスが100,000のカウントなったのである。この数字については特別な意味を持たせるつもりはないが、一つの歴史的な意味があると思っている。一人の人間が様々な人々の出会いがあり、その出会いが祝福であり、それを書き留めたということ、それで100,000と言う意味を示されれば良いと思っているのであるが…。



最初に発行したブログ集「スペイン滞在記」。



公開したブログはその都度小冊子にしている。