「隠退牧師の徒然記」<143>
隠退牧師の徒然記(2013年2月1日〜)<143>
2013年2月6日 「予定通りに運ばれず」
聖書の言葉
ヨナは主から逃れようとして出発し、タルシシュに向かった。ヤッファに下ると、折よくタルシシュ行きの船が見つかったので、船賃を払って乗りこみ、人々に紛れ込んで主から逃れようと、タルシシュに向かった。
(ヨナ書1章3節)
昨日の2月5日は、かねてより申し込んでおいた横浜市立大学エクステンション講座「マレーシアを知る」(歩き方・住まい方)に出席した。マレーシアには連れ合いのスミさんも一緒に行くことになっているので、この講座には夫婦で申し込んでおいたのである。マレーシアに赴くことについては、以前にも記しているが、マレーシア・クワラルンプール日本語キリスト者集会にボランティア牧師として行くのである。この集会は1983年に発足しているが、2002年から専任の牧師と共に歩んでいた。しかし、昨年2012年3月をもって専任の牧師は退任された。その後、定住する牧師がいないので、日本基督教団の牧師が三ヶ月ずつボランティア牧師として赴任しているのである。三ヶ月はパスポートの限度日数である。昨年の4月からボランティア牧師が赴いているが、私は今年の3月中旬から6月中旬まで赴くことになっており、五人目の牧師になる。日本基督教団はボランティア牧師を推薦するのであり、教団が派遣するのではない。このマレーシア行きについては、昨年の夏頃にお話をいただいた。しかし、当初はお断りする。昨年の9月、10月はスペイン・バルセロナにいる娘の羊子のもとに連れ合いのスミさんと行くことになっていたからである。ひとまず断ったが、連れ合いのスミさんから、こういうお仕事は今だからできるので、お受けしたらと勧められる。それで、断ったものの行く意思を伝えたのであった。そして、3月中旬頃から赴くことになってから、横浜市立大学のエクステンションで「マレーシアを知る」講座があり、良い機会だと思い申し込んでおいたのであった。連れ合いのスミさんは、私の単身赴任と思っていたのであるが、現地の教会は夫婦で赴くことを希望しているのである。私に赴くことを勧めたスミさんであるが、自分にも与えられたた使命なのであった。
横浜市立大学正門
講義は12時50分から開かれる。スミさんが一緒なので、車で行き、車はダイエーの駐車場に置き、そこから5分も歩けば横浜市立大学である。講義は1時間30分だから、ダイエーで何か買えば駐車料は払わなくても済む。だから12時過ぎに家を出ることにして、お昼の食事は11時30分頃にしようか、なんて思っていた。いろいろと日程を組んでこの日を迎えたのであるが、なかなか予定通りには行かないものである。朝の10時頃であったと思うが、厨房の出入り口から外に出て、物置においてある物を取り出し、再び家の中に入ろうとしたとき、転倒していたのである。どういう経路で転倒したのか覚えがない。足を滑らしたのかもしれない。気が付いたら、左の頬の部分が、そこに横倒しにしてあった脚立にぶつかってしまう。3センチくらいは切ってしまったが、あまり血は出なかった。むしろ裂傷が痛々しく、連れ合いのスミさんは救急車を呼ぶと言うのであるが、これくらいのことで救急車を呼ぶのは申し訳ないと思う。意識ははっきりしているし、痛々しい裂傷であるとしても、それほど痛くもないのである。我が家の前の家の息子さんが消防署に勤めており、横浜南共済病院の救急センターに問い合わせてくれる。センターとしては、現在も救急車が2、3台も入っており、すぐには対応できないと言うのである。血が止まっているのであれば、どこかの開業医に行くように勧められる。それで追浜駅の近くにある皮膚科に行く。そこの先生は受付で傷具合を見て、近くの整形病院に行くようにと言うことであった。それで100メートル先にある整形病院に行くのであるが、待合室は満員であった。看護師さんに緊急で診てもらえないかとスミさんが交渉するものの、それは困難のようであった。しかし、こちらの整形病院よりも湘南病院を紹介してくれる。そちらの外科に連絡してくれたのである。その病院まで、歩いても行かれる距離であるが、高台にあるのでタクシーで向かったのである。こちらの外科は、他に待っている患者さんいないので、すぐに対応してくれた。
頬の裂傷は縫わずに済む。きつく合わせておけば治るようである。しかし、左頬には大きな絆創膏を貼ることになる。治療が終わり、薬屋さんで処方してもらうものの待ち時間が長く、もはや12時を過ぎていた。それで、薬は後で受け取ることにし、12時50分からの横浜市立大学の講義にタクシーで駆け付けたのであった。始まる5分前であった。エクステンション講座は昨年4月から7月まで「ヴェネツィア・ルネサンス絵画の巨匠たち」の講座を受講しているので、受付も迷わずにすることができた。そのときは35名くらいの受講生であったが、今回もそれくらいの人数であるようだ。講座は二回に分け、この日の講義は「マレー半島における植民地主義と多民族複合国家の成立」であり、次回の12日は「『楽園』としてのマレーシア」との題で講義がある。第一回の講義は歴史を知る上で、良い勉強になったと思う。講師は横浜市立大学非常勤講師の櫻田涼子さんである。
講義は少し長引いて終わる。帰途に着いたのであるが、朝から病院騒ぎで、昼食をとることも忘れていた。遅い食事であったが、午後2時頃、ダイエーの食事どころで美味しい「かつ重定食」をいただく。そして、その後は金澤八景駅から追浜駅まで電車に乗り、頼んでおいた薬を受け取り帰宅したのであった。
毎日、朝起きると、一日の過ごし方が心に示され、それなりに一日の歩みがある。しかし、この日のように思わぬことがあって、生活の順序を変えなければならない。年を重ねるほどに、このようなことが増えるのかもしれない。まあ、用心しながら前期高齢者の生活をするとしよう。