隠退牧師の徒然記 <89>
隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<89>
2012年4月25日 「よい企てに奮いたち」
聖書の言葉
やがてわたしは彼らに言った。「御覧の通り、わたしたちは不幸の中であえいでいる。エルサレムは荒廃し、城門は焼け落ちたままだ。エルサレムの城壁を建て直そうではないか。そうすれば、もう恥ずかしいことはない」。神の御手が恵み深くわたしを守り、王がわたしに言ってくれた言葉を彼らに告げると、彼らは「早速、建築に取りかかろう」と応じ、この良い企てに奮いたった。
(ネヘミヤ記2章17-18節)
このところ天気が不順であり、雨の日、曇りの日、そして晴天の日が繰り返されている。23日の月曜日は朝から一日中雨であった。当然、散歩に出かけられないので、読書に明け暮れようかと思ったが、懸案の大工仕事をすることになった。ベッドメーキングである。以前にも記したが、ベッドのシーツや蒲団を揃えることではなく、ベッドの手直しである。私が使用しているベッドは大分前に手直しをしている。手直しとは、ベッドから掛け布団が落ちないように柵を設けることである。私の使用しているベッドは木製であるので、手直しは楽であった。今回、手直しするのは、子供たちが時には寝泊まりする時のソファーベッドである。ほとんどソファーとしては使用せず、もっぱらベッドにしているのであるが、やはり掛け布団がずり落ちてしまうのである。しかし、このソファーベッドは骨組みが鉄製であり、簡単に手直しと言うわけにはいかない。鉄のパイプに穴を開けなければならない。そのため、以前ホームセンターに行った時、それなりの材料、部品等を買いそろえていたのである。揃ったものの、厄介な作業なので、取りかからなかった。羊子が一時帰国した時にも、蒲団がずり落ちてしまうというので、その時手直しをしようと思ったが、厄介な仕事なので辞めてしまったのであった。
月曜日は朝から雨だったので、散歩に出かけることもできない。一日中読書に明け暮れるのも飽きてしまうであろうし、ここは意を決して作業に取り掛かる。まず、鉄の骨組みにドリルで穴をあけ、木の柱を骨組みにボルトで固定することである。固定してしまえば、後は木の大工仕事になり、仕事は楽になる。まあ、3時間くらいで完成したようだ。5月の連休には子供たちが来ることになっており、これなら蒲団もずり落ちない。私自身も久しぶりの大工仕事で満足感がある。
ソファーベッドに柵をもうけ、掛け布団がずり落ちないようにする。
6年前に今までの家を解体し、現在の新しい家にしたのであるが、大工仕事をしていると昔の家を懐かしく思い出す。何しろ60年以上も経た古い家であり、手直しするところがあちらこちらにあった。大塚平安教会在任中であったが、お休みの日には泊まりがけでやって来て、朝から手直しで忙しかった。襖の張り替え10枚、黒ずんだ壁には壁紙を張って新しい状況にした。屋根はトタンであり、塗装を行う。それから雨戸も、どれもくたびれた色になっており、窓の雨戸10枚、廊下の雨戸6枚、すべてクリーム色のペンキで塗る。今にも崩れてしまいそうな昔の家であったが、少しは見栄えのする家になったと思う。それにしても、昔の家は襖が多く、また雨戸も多い。今のように部屋ごとに区切られてなく、襖をはずせば広い一つの部屋になるのである。そういう意味では便利であったと思う。親戚中が集まるとき、例えば葬式にしても、法事にしても、広い部屋にテーブルを並べ、一緒に食事ができるのである。また、窓や廊下にはすべて雨戸があり、朝晩の開け閉めがあるが、防犯上、そして雨風の日等、こんなに便利なものはないと思った。玄関にも雨戸があるのである。すべて雨戸で家を囲い、守っているという状況なのである。これらは一人私がしたのではなく子供達も手伝ってのことである。
大塚平安教会時代は教会と牧師館が同じ屋根の下にあるが、牧師館の手直しも度々したものである。棚を作ること、ネズミの穴をふさぐこと、このネズミ対策は際限なく行われていた。あちらこちら手直しをしてしまったので、次に入居する牧師さんには気の毒だと思っていた。しかし、次の牧師さんには、この牧師館には住んでもらいたくないと思っていた。どんなにネズミ対策をしても、ネズミが徘徊する牧師館なのである。絶対に別の場所に住んでもらいたいと思っていた。その通りになったので、安心しているのである。
本棚や戸棚等、注文しては組み立てている。ベッドも手直ししたし、もう大工仕事はなくなったのではないかと思う。いやまだある。犬小屋の修理である。綾瀬に住んでいた頃、犬を飼うこと15年にもなるが、その時作った犬小屋は処分せず、六浦の庭の片隅に置かれている。もはや犬は飼わないが、そのうち野良猫が住みつくのではないかと思っているのである。いまだに住みつかないのは、屋根が痛んでいるので、見くびられているのかもしれない。修繕すれば、喜んで住みつくかもしれない。いつか犬小屋の修繕をしなければ。良い企てであれば奮いたつのであるが。