鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <88>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<88>
2012年4月23日 「石が叫ぶと言われ」 


聖書の言葉
エスがオリーブ山の下り坂にさしかかられたとき、弟子の群れはこぞって、自分の見たあらゆる奇跡のことで喜び、声高らかに神を賛美し始めた。「主の名によって来られる方、王に、祝福があるように。天には平和、いと高きところには栄光」。すると、ファリサイ派のある人々が、群衆の中からイエスに向かって、「先生、お弟子たちを叱って下さい」と言った。イエスはお答えになった。「言っておくが、もしこの人たちが黙れば、石が叫び出す」。
ルカによる福音書19章37-40節)


 
昨日の六浦谷間の集会における礼拝では讃美歌54年版を用いた。連れ合いのスミさんが、なんとなく54年版の讃美歌を思い出して口ずさんでいたが、それが何番の讃美歌であるか、私にも歌って聞かせるのであるが、二人とも思い出せない。しかし、その後、スミさんは54年版讃美歌の433番「みどりの柴に」であることが分かり、しまいこんでいた54年版讃美歌を開いて歌うのであった。そのことで、今後、礼拝において54年版を歌うことにしたのである。久しぶりに54年版の讃美歌を礼拝において歌う。讃美歌21にはない54年版の讃美歌であるので、本当に久しぶりに歌う讃美歌であった。礼拝で歌った54年版讃美歌は、8番「きよきみつかいよ」、74番「涯しも知られぬ」、155番「空はうららに」、433番「みどりの柴に」、540番「みめぐみあふるる」である。讃美歌21が発行されたのは1997年2月である。大塚平安教会においても1997年9月よりいち早く讃美歌21に変えたのである。従って、今回礼拝において歌った讃美歌は15年ぶりになるのである。「54年版の讃美歌は胸に染みいるね」と思わず感想を述べたのであるが、その通りなのである。実際、今でも54年版を用いている教会がある。全国的にも讃美歌21、54年版讃美歌を用いている教会は半々であると言われている。




讃美歌21、54年版讃美歌、どちらも神様を賛美する歌集である。



 讃美歌21が発行されることになったのは、54年版讃美歌は文語調であることから、意味が分からないということ、また不快語、差別語が使われていること、皇室用語が使われていること、時代にあった曲にすること等、やはり43年前の讃美歌は古いということになったのである。讃美歌21が発行されて以来、この讃美歌を用いてきたが、54年版の讃美歌も讃美歌21に入れられているので、54年版を隅に追いやったという思いはなかった。だから、讃美歌21に変えたとしても、54年版時代に歌われていた讃美歌を選ぶことが多くなる。
 讃美歌21に入れられなかった54年版讃美歌の中には、心に残る讃美歌が幾つもある。だから、今回は讃美歌21に入れられなかった54年版讃美歌を用いたのであった。その54年版の433番を愛唱讃美歌にしている人が多かった。歌いながらそれらの皆さんを思い出していた。歌詞を見ておこう。「みどりの柴にかこまれたる/伏屋のうちはたのしき国/うき世の外の夢やすけく/春風かよえるナザレの里/春風かよえるナザレの里」と歌う。なるほど、この歌詞だけでは讃美歌らしくない。これはイエス様がお育ちになったナザレの里を思いつつ歌うのであるが、あまり神様を賛美しているとは思われないと判断したのであろう。496番も讃美歌21から除外されている。「うるわしの白百合、ささやきぬ昔を/イエス君の墓より、いでましし昔を/うるわしの白百合、ささやきぬ昔を/百合の花、ゆりの花、ささやきぬ昔を」と歌うのであるが、百合の花が中心になっているようで、賛美ではないと判断されたようである。しかし、これらの讃美歌を歌うとき、イエス様を心に示されながら歌うのである。歌詞も心に響くが、曲が高らかに讃美の声を上げさせるのである。因みに54年版の私の愛唱讃美歌の一つは512番であった。「わがたましいのしたいまつる/イエス君のうるわしさよ/あしたの星か、谷のゆりか/なにになぞらえてうたわん/なやめるときのわがなぐさめ/さびしき日のわがとも/きみは谷のゆり、あしたのほし/うつし世にたぐいもなし」と歌うであるが、どうしてはずしてしまったのか。恋の歌とも思われるからだろうか。438番も愛唱讃美歌の一つである。「わがまくらべ、夜ごといのらす/母のみすがた、とうときかな。/父なる神よ、やさしき母を/とわにたえせず、めぐみたまえ」と歌うので、母の賛歌と理解される。しかし、母を心に示されつつ神様にお願いしているのであり、やはり讃美歌なのである。私はこの讃美歌を歌っては、わが母を心に示されていたのである。
 今後、もちろん讃美歌21 をもって讃美するが、54年版讃美歌も取り入れながら讃美することにしたのである。讃美歌は歌詞はもちろんであるが、やはり旋律が讃美の声を高めるのである。約50年間も歌い続けてきた54年版讃美歌の旋律は体内に深くしみ込んでいる。喜びの時、悲しみの時、苦しみの時、いつのまにか讃美歌を口ずさんでいる。そう、私が歌わなければ石が歌い出すのである。



源平桃の花、その後。4月22日撮影。
まだまだ咲き続けている。