鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <87>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<87>
2012年4月20日 「中に記された言葉を見つめながら」 


聖書の言葉
イエス・キリストの黙示。この黙示は、すぐにも起こるはずのことを、神がその僕たちに示すためキリストにお与えになり、そして、キリストがその天使を送って僕ヨハネにお伝えになったものである。ヨハネは、神の言葉とイエス・キリストの証し、すなわち、自分の見たすべてのことを証しした。この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちは幸いである。時が迫っているからである。
ヨハネの黙示録1章1-3節)


 
今朝は、「蟖長けた」、この字を見つめながら、しばらく過ごすことになる。恥ずかしいことながら読めなかったのである。最初の字が読めないので、字書を引くのにも引きようがない。漢和辞典広辞苑等を開きながら、ようやくこの字が「ろうたけた」と読むことを知る。意味は「経験を積んだ」、「(女性が)美しくて気品がある」とのこと。婦人の友社が季刊「明日の友」という雑誌を発行している。その197号に岩田誠さん(東京女子医科大学名誉教授)が「おいてますます」との題で執筆しているが、その中でこの言葉を使っているのである。学生たちにこの意味を尋ねたが、10数年の間で、一人だけ答えているという。72歳にもなって、この字の読み方を知らないなんて、恥ずかしいなんてものではない。いつも文章を書いているのに、日本語を知らないのだから。
 毎朝、今は何所に出かけるという予定もなく、同じように朝の務めを繰り返している。洗顔したり食事をしたり、郵便ポストにある新聞を取り行きながら軽く体操をしたり、ゴミの日は出しに行ったり、その後はしばらく新聞を読んで、書斎に入るのは9時頃である。机の上に置いてあった、配達されたばかりの「明日の友」を開いて、しばらく字書とにらめっこすることになったのである。「明日の友」は数日前に横浜キリスト教書店が届けてくれたのである。
キリスト教関係の本については、大塚平安教会在任中は当初は東京聖文舎の営業の人が立ちよってくれていたので、新刊等をいくつか持ってきてくれる。内容等を見ることができ、購入したりしていた。その後、東京聖文舎が店を閉めたので、横浜キリスト教書店が出入りしてくれるようになった。東京聖文舎は市ヶ谷にあり、綾瀬まで出版物を届けてくれるのは大変なのであるが、以前、大塚平安教会の教会員が東京聖文舎でお仕事をされていた関係でお願いしていたのである。閉店になったので、横浜にあるキリスト教書店に出入りしてもらうことになったのである。教会にしても幼稚園にしても、キリスト教書店が出入りしてくれるので、いろいろな面でありがたかったのである。個人的にも、今まで全集ものを定期的に届けてくれたり、雑誌等も講読しているので、いち早く届けてくれるのである。
 ところで大塚平安教会退任にあたり、講読していた雑誌類を中止にしようかと思った。しかし、2010年9月までは綾瀬ホームやさがみ野ホームの礼拝を担当することになり、さらに大塚平安学園の理事長は後任牧師が就任する10月まで担うことになり、引き続き大塚平安教会やドレーパー記念幼稚園に立ちよるので、キリスト教書店による雑誌類の講読は続けることにしたのである。そして、大塚平安教会の後任牧師が10月から就任し、ホームの礼拝も理事長の職務も解放されることになったので、雑誌も講読中止を考えていた。そんなとき、9月の半ば頃かと思われるが、我が家の郵便ポストに講読の雑誌が入っていたのである。「いつもこの近くまで来ているので、これからは直接お届けします」とのメモが添えられていた。「この辺まで来る」とは、近くに関東学院があるし、他にもキリスト教関係の団体があるからである。実際、横浜キリスト教書店は紅葉坂にあるのだから、そんなに遠い距離とも言えない。
 「礼拝と音楽」、文藝春秋山と渓谷、あけぼの、「明日の友」等の雑誌を講読しているが、最近は原書房発行の外尾悦郎さん著「サグラダ・ファミリア」(ガウディとの対話)を持ってきて見せてくれたので購入したのであった。キリスト教書店が我が家にまで寄ってくれるので、大変ありがたく思っている。72歳にもなったので、「蟖長けた」存在であるはずだが、知らないことだらけで、本を読み続ける日々を与えられていることは感謝にたえない。実際、在任中はあまり本を読むことができず、職務に明け暮れていたのである。「この預言の言葉を朗読する人と、これを聞いて、中に記されたことを守る人たちは幸いである」と黙示録は示しているが、何よりも預言の言葉に向かう喜びを得ている。



源平桃の木、その後。4月20日撮影。
桜の花が咲く前に開花し、桜の花は散ってしまったが、
葉がかなり生えているのに、まだ咲き続ける源平桃の花。