鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <81>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<81>
2012年4月6日 「先祖の墓のある町」 


聖書の言葉
王は私に尋ねた。「暗い表情をしているが、どうかしたのか。病気ではあるまい。何か心に悩みがあるにちがいない。」わたしは非常に恐縮して、王に答えた。「王がとこしえに生きながらえますように。わたしがどうして暗い表情をせずにおられましょう。先祖の墓のある町が荒廃し、城門は火で焼かれたままなのです。もしも僕が心に適い、王にお差し支えがなければ、わたしをユダに、先祖の墓のある町にお遣わしください。町を再建したいのでございます。」
(ネヘミヤ記2章2-5節)


 
 4月5日は公立学校の入学式である。車で瀬ヶ粼先小学校や六浦中学の前を通ったときに、改めて入学式を示される。先日、ドレーパー記念幼稚園の同窓会に出席したが、小学校を卒業した子供達、中学校を卒業した子供達は、それぞれ中学、高校の入学式に臨んだことを示されつつ、心の中でお祝いを述べたのであった。5日の夜に、へシャン君から電話があり、入学式があったことの報告をしてくれた。シルバさん家族が我が家に来宅し、楽しいひとときを持ったことについては3月28日のブログに記している。改めてお祝いを述べる。新しい世界で、色々な経験を積みながら学ぶことをお祈りしたのであった。こうして前に向かっていく子供たちを示されながら、いにしえを振り返ることも必要なのであり、昨日の5日には、羊子が帰国していることもあり、家族で墓参に出かけたのであった。
 鈴木家の墓地は横須賀市の一角にある寺にある。この墓地に鈴木家の先祖と私の父・政次郎、母・ハナ、姉・美喜子、兄・光政が埋葬されている。姉の他は戒名が墓誌に記されているが、姉は生前の名前を記している。姉はキリスト教の信仰を持ち、清水ヶ丘教会の教会員として歩んだが、かねてより、自分が死んだら両親の墓に埋葬してほしいと言い残していた。それで寺の和尚さんにお願いして、埋葬はキリスト教で行うことの許可を得る。ただしお寺の墓地なので讃美歌は歌わないでもらいたいということであった。司式の清水ヶ丘教会の島田勝彦牧師は、讃美歌の代わりに詩編をみんなで読むことにしたのである。この寺の和尚さんは、鈴木家の子供達がキリスト教の信者であることを知っており、両親の法要等で共に食事をする時は、宗教談義をしたものである。両親は浄土真宗門徒であり、寺との関わりは熱心であった。その両親がいない今、鈴木家は私の代になり、家を新築したが仏壇というものは作らなかった。しかし、亡くなった家族の写真を飾り、日常生活を共にしているのである。だから寺とは関係が亡くなるのであるが、寺に墓があるので関わり続けることになる。いわゆる墓檀家ということなのである。そのため墓だけにしても、檀家と同じように寺の護持会費の責任は持たなければならないのである。いつも心に示されていることは、私の埋葬地である。姉が願ったように、私も両親と共に埋葬されるのか、それとも大塚平安教会の墓地に埋葬されるのか、そろそろ遺言として言い残しておく必要がある。分骨も考えられるが、その手続きも、費用も大変なのでしないことにする。



墓の清掃をする羊子。



豆腐サラダ



焼きとり



釜めし



 墓参にはプレミアがついていることは、以前にも触れている。比較的近い場所に「釜めし屋」さんがあり、帰りには寄ることを常としていた。以前、羊子が帰国したとき、墓参の帰りに寄ったのであるが、たまたまお休みであり、その時は三崎まで足を伸ばし、美味しいマグロの定食を食べたのであった。しかし、美味しいマグロも魅力であるが、やはり「釜めし」をいただくことの方に重きを置く。久しぶりに家族で美味しい釜めしをいただいたのであった。釜めしも美味しいが、ここの豆腐サラダや焼き鳥は美味である。釜めしも色々な種類があり、それぞれ違う釜めしを注文し、分け合って食べることになるので、色々な釜めしを食べることになる。
 旧約聖書のネヘミヤは、「先祖の墓のある町」がバビロンに滅ぼされて荒廃したままであり、それで王様に願って帰還する。そして、神殿を再建し、人々を立ち上がらせている。「先祖の墓のある町」は、私にとって六浦の実家であるが、今後のことなど、色々な意味で再建の課題を示されているのである。