鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <76>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<76>
2012年3月26日 「神の恵みは無駄にならず」 



聖書の言葉
最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後12人に現れたことです。次いで、500人以上の兄弟たちに同時に現れました。次いで、ヤコブに現れ、その後すべての使徒に現れ、そして、最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄になっていません。
(コリントの信徒への手紙<一>15章3-10節)




昨日の3月25日は2011年度の最後、3月の最終の礼拝になる。しかし、年度は組織体に所属する場合に、年度を踏まえつつ歩むのであるが、個人の生活としては、ほとんど関係がなくなる。毎月、毎日の歩みを重ねながら、一年間の周期を持つからである。そうは言うものの、年度に従う歩みが体に染みついており、3月と4月はそんな思いが深まるのである。3月は年度の締め、決算が行われ、また幼稚園の子供たちを送り出す。年度を振り返って総括もしなければならない。そして、迎える4月は新しい歩みの展望であり、計画、予算を作成し、幼稚園では新入園児を迎え、新しい歩みが始まって行くのである。大塚平安教会では4月末に総会を開催し、幼稚園では5月末までに決算理事会・評議員会を開催する。それらが終わるまで、日々忙しく過ごさなければならないのである。このように年度に追いかけられるようにして過ごしてきているので、まだその生活が残っているのである。今はのんびりと日々の生活をしているのに、気持ちが年度に追いかけられているようでもある。
今の生活においては3月の終わりの礼拝が最終の礼拝とはならない。年度に関係しないからである。しかし、どうしても2年前の大塚平安教会における最終礼拝が思い出されてならないのである。大塚平安教会を退任してから、もはや2年を経ているが、昨年は4月4日からスペイン・バルセロナでピアノの演奏活動をしている羊子のもとに行くことで、気持ちがそちらに傾き、最終礼拝への思いが薄れていたのではないかと思う。2年前の3月の最終の礼拝は、3月28日であったが、それはまた大塚平安教会の最後の礼拝でもあった。最後の礼拝ということで、普段礼拝に出席できない皆さんがご出席くださり、お別れの礼拝を共にささげてくださったのである。その時も娘の羊子がスペインから帰国し、当日の奏楽を担当してくれた。羊子は2009年8月に帰国し、その年のクリスマスにも帰国し、私の大塚平安教会における最後のクリスマス礼拝の奏楽を担当したのである。それから三ヶ月後が最終礼拝であり、半年の間に三回もスペインと日本を往復したのである。最終礼拝の奏楽において、羊子ばかりではなく、星子も百合子も部分的に奏楽を担当していた。星子は、その前の礼拝でも奏楽を担当している。その時も百合子が部分的に奏楽を担当していた。いわば、この教会で成長した子供達が、親の最後の礼拝で、奏楽を担当したということ、まさに神様のお導きとして感謝したのである。連れ合いのスミさんが、子供達の小さいときからピアノに向かわせていたことが、今ここで祝福となったのである。その意味でも、三人の子供達が親の大塚平安教会における最後の礼拝で、奏楽を担当したこと、一番喜んでいたのは連れ合いのスミさんなのである。そして、礼拝後は幼稚園ホールで送別会が開かれ、礼拝にご出席の皆さんはほとんどお残りになっておられた。皆さんからのお別れの言葉は、私たちの心に深く刻まれている。いつもはクリスマスやイースターの時にポトラックの食事であるが、この日も私達が要望してポトラックの食事にしていただく。最後に皆さんの手作りのご馳走をいただく喜びを得たのである。
 その最後の礼拝は棕櫚の主日であり、受難週に入るのである。主の十字架はご受難であるが、私たちをお救いくださること、十字架の贖いの完成なのである。その意味で、完成の時を持って大塚平安教会を退任することの導きを深く示されていたのである。そして、最後の礼拝の次週、4月の第一主日イースターであり、新しい歩みが始まって行くのであった。私は、最後の礼拝において、次のようにメッセージを取り次ぎ、終わりとしたのであった。改めて、その時のメッセージを記しておく。「時の到来」として示さている。
「説教集が発行され感謝しています。説教集の発行は鈴木伸治牧師に説教を生み出させた皆さんの証し集であるのです。その題を「最初の朝餐」としました。「最後の晩餐」において信仰を導く原点が示されました。「最初の朝餐」「は、復活されたイエス様がお弟子さん達と最初に朝の食事されたのであります。お弟子さん達は、今後は自立して歩みだすのであります。今まではイエス様と一緒でした。しかし、もはやイエス様は目に見える存在ではなく、復活信仰の中で導かれる方なのであります。朝の食事を与えたイエス様は、お弟子さん達を新しい歩みへと導いておられるのであります。「時の到来」はイエス様の十字架の救いが完成されたことであります。そして、時の到来は、明日への新しい時へと導かれることなのであります。十字架のイエス様を仰ぎ見つつ新しい歩みへと導かれるのであります。大塚平安教会、ドレーパー記念幼稚園、綾瀬ホーム、さがみ野ホームの皆さんは、時の到来をしっかりと受け止め、明日への歩みを踏みしめてゆくでありましょう。それぞれの皆さんに主イエス・キリストの祝福が豊かにありますようお祈りいたします。」
2年前の大塚平安教会における最終礼拝を振り返った。多くの皆さんがお別れに馳せ参じてくださったことを感謝している。今は、隠退牧師として、連れ合いのスミさんと共に、忙しかった大塚平安教会時代を振り返りつつ、六浦谷間の集会で礼拝をささげながら歩んでいる。当日の最後の記念写真は、寝室にも掲げているが、皆さんのお祈りを示されている。「神様の恵みは無駄にならず」と示されている。




記念写真は寝室に飾り、皆さんを心に示されている。