鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<459>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<459>
2018年3月17日「終わりと始まりと」



聖書の言葉
あなたにはレビ人アロンという兄弟がいるではないか。わたしはあなたの口と共にあり、また彼の口と共にあって、あなたたちのなすべきことを教えよう。
旧約聖書出エジプト記4章14-17節)



横浜本牧教会付属の早苗幼稚園にて2016年10月から幼稚園の園長として務めてきたが、2018年3月をもって終わることになった。もともと暫定的なお勤めであり、当初は半年のつもりでいたのであるが、さらに一年の延長があり一年半の務めとなった。早苗幼稚園は設置者である教会の牧師が園長を担うことになっており、前任の牧師・園長が2016年9月で退任したことにより、暫定的な園長として務めることになったのである。2010年3月に、30年間務めた大塚平安教会牧師、ドレーパー記念幼稚園園長を退任したとき、それからは隠退牧師としてゆっくりするつもりであったが、横浜本牧教会は牧師・園長の退任があり、暫定的であるが教会の代務者及び幼稚園の園長を半年間になったのである、その経験があるので、2016年9月に牧師・園長が退任したので、暫定的な園長を担うことになったのである。代務者は小林誠治牧師であったが、同牧師は神学校の校長先生を担っており、幼稚園の職務はできないと言われるので、その任が私に来たのである。
一年半は瞬く間に過ぎた。それでも最初の半年間は、留守番的な思いであったのであるが、さらに一年間の職務が延長されたとき、いろいろなことに気づかされ、構築物の修繕や新規に建て直したりする。教育の面でも、いくつかの取り組みをすることができたのである。私なりに職務を務めあげたと思っている。4月からは新しい牧師・園長を迎えて歩むことになっている。新しい体制になったとしても、しっかりとした主任先生がおられるので、安心して後を委ねることができたのであった。今まで通りの教育方針、また取り組みを担って行くことができるであろう。
3月15日は卒園式、16日は在園生の修業式であり、この日をもって私の職務は終わりとなった。その16日の午後に卒園生と保護者の皆さんが謝恩会を開いてくださった。楽しいプログラムで進められ、教職員の働きに感謝してくださったのであった。その前日の卒園式では45名を送りだしたのである。卒園生には卒園の修了証書を渡しながら、証書を受け取る子供の頭に手を置き、「神様を愛し、人々を愛する人になりますように」との祝福のお祈りをささげる。ドレーパー記念幼稚園では30年間、子供たちに祝福のお祈りを与えてきたが、この早苗幼稚園でも二年間に渡り祝福与えることができ、心から喜び、感謝しているのである。卒園式が終わってから、教職員と幼稚園委員会の皆さんと共にお昼の会食をする。普段は預かり保育があるので、教職員が一堂に会しての食事ができない。卒園式は預かり保育をお休みにしているので、一同に会することができるのである。そのとき退任の挨拶をさせていただいたのである。今まで退任後のことはどなたにもお話をしてなかった。ここで初めて私の4月からのことを報告したのであった。4月からは伊勢原教会に関係する学校法人伊勢原幼稚園の園長に就任するのである。教職員の皆さんは、退任後は再び隠退牧師としての歩みであろうと思われていたようだ。それにも驚いていたが、今度は片道2時間も要しての務めであることで、それも驚いていたのである。それなら、退任しないで続けていただきたい、なんてのお声をいただいたのであるが、この4月からの体制は教会の姿勢であるので、それに従っているのである。教職員の皆さんからは記念にネクタイを贈られる。私の好みの色柄でもある。翌日、そのネクタイを締めて幼稚園に行ったのであるが、皆さんは一様に「似合う」と言ってくださる。「今後はこのネクタイを締めて、皆さんから首を抑えられていると思います」とお礼の言葉を述べたのであるが。
まもなく4月である。始まりである。新しいネクタイで、新しい職務につくことにしよう。



在任中、避難用滑り台を設置。遊具にもなる。



掲示板を設置。先生たちが楽しいものを掲示している。



最後の礼拝で、お別れはハグして。



謝恩会で、先生たちが登場して。

隠退牧師の徒然記<458>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<458>
2018年2月17日「幼子の成長を祈りつつ」



聖書の言葉
エスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
新約聖書ルカによる福音書2章52節)



もう間もなくここに立つのも終わりである、と思いつつ、登園する子どもたちを迎えるため、幼稚園の入口に立つ。週に三度であるが、幼稚園の執務の日には、まず子供たちを迎えることから始まる。登園してくる子ども達を迎えては朝のご挨拶をするのであった。この入り口は日蔭であり、風が通りぬけるのである。まだ続いているが冬の寒さが応えるのであった。その寒さに耐えながら、ここに立つのも、まもなく終わろうとしている。3月にはこちらの職務を終わるということである。3月15日が卒園式、3月16日が終業式である。だから後一ヶ月で「お迎え」の職務は終わるということである。横浜本牧教会は4月から新しい牧師が就任することになったのである。教会は牧師が幼稚園の園長を兼ねることになっている。2016年9月をもって前任の牧師・園長が退任したので、すぐには後任が決まらないので、教会の牧師は小林誠治先生が担い、園長は私が担うことになったのである。2010年4月から9月までの半年間、この横浜本牧教会の代務者及び早苗幼稚園の園長を担ったので、今回も幼稚園の園長を担うことになったのである。久しぶりに子供たちと過ごすことができ、元気をもらったし、日々楽しく過ごさせていただいた。
幼稚園の入口に立っては登園する子ども達を迎えているが、当然、保護者の皆さんとの触れ合いもある。多くの場合、お母さんと登園するが、お父さんや祖父母の皆さんの送りがある。新年早々にインフルエンザで幼稚園を休んでいたが、再び入口に立つようになったとき、園児を送ってきた祖母の方が、身体の安否を尋ねてくれたりしている。お母さんたちの中には、まだ赤ちゃんのお子さんを胸に抱き、背におんぶしながら幼稚園に来られる。いつも背中におんぶしていたお子さんが、いつの間にか歩くようになり、お母さんと共にお兄ちゃんを送ってくるのである。子供の成長は早いものだとつくづく示されるのであった。保護者の皆さんとの短い会話も良い出会いを与えられているのである。
ところでスペイン・バルセロナにいる孫の義也君は2月12日で一歳の誕生日を迎えた。12月20日から1月10日まで、娘の羊子と彼のイグナシオさん、義也君が一時帰国したとき、まだ歩くことなく、もっぱらサークルの中で一人遊びをしていたものである。ところが誕生日を迎えたころには、かなり歩くようになっている。今は歩きたくて、サークルの中にいることは少ないという。FaceTime で画面を見るのであるが、喜びつつ歩いている姿を、我ら老夫婦は目を細めて見つめているのである。
 子どもの成長は早いというものの、それだけこちらも年齢を重ねているのである。ドレーパー記念幼稚園では、毎年3月の春分の日には同窓会を開催している。幼稚園を卒業した年の夏休みに一年生の同窓会を開催する。春分の日には小学校六年生を卒業した子供たち、中学校3年を卒業した子供たちの同窓会を開催している。大きく成長しているので、幼稚園時代の姿が思い出せないのであるが、その時代から、こんなに大きくなったということを、つくづく示されるのであった。ドレーパー記念幼稚園では30年間園長を務めたが、最初に送り出した子供は48歳頃になっているのであろう。どのように歩んでいるのであろう。「神様を愛し、人々を愛する人になりますよう」との祝福のお祈りをしつつ送り出した子供たちである。人生のいろいろな経験を積みながらも、基本はイエス様の教えが刻まれていると信じている。子供たちの祝福の成長をお祈りしている。



収穫感謝礼拝。




義也君の一歳の誕生日。



歩くのが楽しくて。サグラダ・ファミリア教会のミサ中も。
後ろはガウディのお墓。

隠退牧師の徒然記<457>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<457>
2018年2月1日「幼子と共に過ごしつつ」



聖書の言葉
子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。神の国はこのような者たちのものである。
新約聖書・マルコによる福音書10章14節)



今年は南岸低気圧なるものが関東地方にも停滞し、去る1月22日には大雪となった。この地域でも10センチは積もっている。翌日の23日は幼稚園には行かない日なので、朝から雪かきで汗を流す。久しぶりと言える。前回、雪かきをしたのは2014年である。そのときはかなり積り、雪かきは近所の人たちと共にしたものである。今年はそれ程でもないが、雪かきをしておかないと、特に駐車場の雪は除いておかなければならないのである。幸い、23日は良く晴れたのでも、雪解けも早かった。翌日には車で幼稚園に行くことができた。南岸低気圧がまたやってきたようで、2月2日はまた降雪との予報でもある。1月22日は雪であったので、幼稚園には電車とバスで行ったのである。車の運転は危険でもあるからだ。今回も朝から雪ならば電車とバスで行くことにしている。
1月22日に降雪であったものの、その後は寒いながらも晴天が続く。1月26日は幼稚園では凧揚げ大会を行う。凧は既製のものに自分で絵を描く。簡単なつくりなので、これで上がるのかなと懸念する。早苗幼稚園は狭い園庭であり、歩いて30分くらいの本牧山頂公園で凧揚げを行うのである。都会の中にある本牧山頂公園は、オアシスと思える場所でもある。かなり広範囲に公園となっており、散歩に来ている人が多い。この日も晴天であり、風もそこそこ吹いているので、凧揚げには絶好の日よりであった。最初は、子供たちは凧を少しだけ上げては喜んでいたが、風に乗せてかなり高くまで上げている。こんな凧で上がるのかな、なんて思っていたのを訂正しなければならない。簡単なつくりであるが、立派な凧なのである。前任のドレーパー記念幼稚園時代には凧揚げはしなかった。凧を上げるには、それほどの園庭は広くない。また、公園に行っての凧揚げも考えられなかった。小さな凧を作って、園庭で走りながらあげていた程度である。だから、今回の凧揚げは、まさに凧揚げ大会の感じであった。
前任の幼稚園では、凧揚げはないもののお正月遊びが盛んであった。羽根突き、独楽回し、大かるた取り等で楽しんでいる。独楽回しでは、大独楽の回し方の実演をしたものであるが、何回か失敗もしている。幼稚園で子供たちと共に遊ぶ時、このような機会があることを喜んでいるのである。幼稚園の園長という職務を、今でも担うことの喜びでもある。この職務も今年の3月には終わることになっている。横浜本牧教会は早苗幼稚園を運営しているが、教会の牧師が幼稚園の園長を担うことになっている。前任の牧師・園長は2016年9月に都合で退任している。10月からは小林牧師が教会の代務者となった。ところが小林先生は他にも大切な職務があり、幼稚園まで担えないというので、その園長は私が担うことになったのである。2010年4月から9月まで横浜本牧教会代務者、幼稚園園長を担った経験があるからである。だから二人体制で担ってきたが、いよいよ4月から牧師が就任することになったので、3月までの職務となったのである。1年半、幼稚園の子供たちと過ごせたことを喜びも、感謝している。
バルセロナに在住する娘の羊子は、子供の義也君の写真をいつも送ってくれている。今は自分で立ち上がれるようになっており、間もなく歩き始めるであろう。写真の義也君はサークルの中にいるが、玩具がいっぱい置かれている。今はいろいろな,めずらしい玩具があるが、もう少し大きくなったら日本のお正月遊びを教えてあげたい、なんて思っているのであるが。



凧揚げ大会。



本牧山頂公園にて。



いろいろな玩具に興味を示し。



いろいろと興味を示しながら。

隠退牧師の徒然記<456>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<456>
2018年1月20日「寒さ暑さも彼岸まで」



聖書の言葉
それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮しになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
新約聖書ルカによる福音書2章51-52節)



今日は暦の上では「大寒」と言われている。一番寒い日であるとか。確かにこのところ寒さが続いている。来週の月曜日22日は雪が降るとの予報である。そうなると車で幼稚園に行くのは危険でもあり、電車で行こうかなどと考えている。車で幼稚園までは50分くらいであるが、電車とバスで行くと1時間30分はかかる。そうなれば、やはり車で行き来しているのである。しかし、時には電車・バスで行くこともあり、時間を要したとしても安心して行ける。横浜まで京急線で行き、そこからはバスに乗れば本牧に行けるのである。以前は横浜駅でJRに乗り石川町駅まで行き、そこで降りて元町からバスに乗っていたのである、横浜駅からバスの乗った方が何回も乗り換えをしなくてもよいのである。
新年を迎え、幼稚園は1月5日に教職員の出勤となる。そして1月9日が第三学期の始業日となった。その日は始業式に臨み、連れ合いのスミさんが掛かり付けの医院に行きたいというので、早退したのであった。スミさんはその医院で薬を処方してもらうだけである。その後は整形病院でリハビリを受ける。せっかく医院に来たので、私も診察してもらうことにしたのであった。このところ、7度まではいかないが微熱が続いていたのである。お医者さんは、念のためインフルエンザの検査をしておきましょうと言われてので、受けることにした。そうしたら罹っていたということである。若い人は高熱となるが、高齢者は高熱にはならないとか。実際、微熱で過ごしていたのである。心配したことはバルセロナから羊子家族が滞在していたことである。12月20日にイグナシオさんと義也君と共に一時帰国したのであった。今回は演奏活動は1月6日の深沢教会におけるニューイヤーコンサートだけであり、ほとんどは家で過ごすことになっていた。それでもいくつかのスーパーに行き、買い物をしたり、1月4日には鎌倉の国宝館の見学をしている。一緒に過ごしていたので感染してないか心配であった。彼らは1月10日にはバルセロナに戻ったが、感染もなく、元気に過ごしているというので安心する。インフルエンザになったので、しばらく安静にしていたが、1月17日から幼稚園の職務についている。
1月19日には幼稚園の「お餅つき」である。保護者の皆さんのお手伝いをいただいて、楽しくお餅つきをしたのである。最初はお父さん達がお餅つきをしてくれて、その後は順次子供たちもお餅つき体験をしたのである。お父さん達もお餅つきをしてくれたのであるが、印象としては、お餅つきの体験を持たないようでもある。せっかくお餅をついてくれるので、大いに喜んでいたのであるが。お餅をつく場合、ペタンコとついたら手返しでお餅を返し、そしてペタンコとつくのである。ところが、杵を続けざまにつき、しばらく続けざまについてから手返しをするのであった。それはそれでおいしいお餅になるのであるから、それでも良いと思ったのであった。実演する必要もあったが、皆さんのお手伝いに任せたのであった。
来週22日からは年長組の皆さんがグループで園長室にやって来る、一緒にお弁当を食べるのである。教室ではなく、園長室でお弁当を食べる、そのために案内状を出しておく。前任のドレーパー記念幼稚園時代も年長組の皆さんとお弁当を食べていた。そのときは案内状も出していないので、保護者の皆さんは後で知ることになる。「今日は園長先生とお弁当を食べたんですって。分ってればねえ」と言われるのであるが、分っていれば豪華なお弁当になるのかな。とにかく楽しいひと時である。子供たちのいろいろな感想を聞くことになるのである。三学期は短い。後は卒園遠足等があり、楽しい思い出を持ち、元気に巣立ってもらいたいと思っている。



鎌倉の国宝館を見学する。



孫と過ごしつつ。

隠退牧師の徒然記<455>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<455>
2018年1月12日「新しい歩みを喜びつつ」



聖書の言葉
わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
新約聖書・ローマの信徒への手紙6章4節)



しばらく執筆を休んでいたが、ようやく書いておくことにした。昨年の10月から横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長を担っているが、二度目の冬を迎えている。わずか一年間であるが、いろいろな取り組みが許され、一つ一つ形あるものになっていることを喜んでいる。12月はクリスマスであり、子供たちがイエス様のお生まれになったページェントを演じつつお祝いできたこと、祝福のクリスマスであった。その12月20日にはバルセロナにいる羊子家族が一時帰国することになった。昨年の7月から8月にかけて羊子と義也が一時帰国したが、この年末年始に再び帰国することになり、今度はイグナシオさんと義也と三人で帰国したのである。年末年始には故郷に帰り、孫を祖父母と合わせることは日本の風習にもなっているが、羊子たちも帰国してくれて、願ってもないお正月を迎えたのであった。昨年7月に帰国したときには、浅田真央さん等のアイスショーでピアノの共演をすることになり、大阪や名古屋に一週間は出向いている。他にもコンサートがあり、友人と会うやらで、家にいることも多くはなかった。しかし、今回は1月6日の深沢教会におけるニューイヤーコンサートに臨む以外は予定がなく、家で過ごすことが多かった。彼が古美術に興味を持っているので、1月4日には鎌倉国宝館に出かけたのであった。鎌倉は混雑するので、早めに車で出掛ける。それは正解であった。早めであったので駐車場はすいていたのである。しかし、帰る頃はどこの駐車場もふさがっており、駐車場を探す車が気の毒であった。
鎌倉と言えば八幡宮の参拝であるが、お正月の初詣には驚くほどの人々であった。一度に参拝すると危険であるので、ある程度の人々が階段を上ると人数制限で止められる。その列が若宮小路へと続いているのである。境内の横には池があるが、その池にもカモやカモメで混雑している。餌を与えるものなら、競い合って食べる。ここは恰好の場所であるのだろう。人も鳥たちもいっぱいの鎌倉であり、普段は大勢の人々には接しないので、改めて人間が多いことを知るのであった。かつてバルセロナに滞在したとき、ランブラス通りの人の多さ、年末年始や顕現祭の人波、そして独立を訴える日等の人の群れに驚いたのであるが、日本もそれ以上の混雑ぶりである。
孫の義也は昨年の2月12日に生まれており、1月10日にバルセロナに戻って行ったのであるが、もはや11ヶ月になっている。まだ歩くことはないが、伝え歩きはしているし、間もなく独り立ちをするであろう。今回はもっぱらサークルの中に入れていたが、次回は家中を歩き回るのではないかと思っている。7月に帰国したとは、抱っこするのも楽であったが、今回はずっしりと重く、長い時間抱いていることはできないのである。子供の成長は早く、あっと言う間に大きくなるだろう。その分、我々夫婦が年を重ねていくのである。
連れ合いのスミさんは2010年3月に大塚平安教会を退任し、引越しのときに脚立から落下して腰を打ち、以来腰を痛めながらの生活が続いている。そして、最近は歩行も困難になり、横になることが多い。これでは老化が進むので、デイサービスに通うことになった。私が幼稚園の職務で月水金の三日間は出かけるので、月と水の二日間デイサービスを利用するようになる。そして、1月11日からはデイサービスではないが、NPO法人のデイサービスに木と金に出かけるようになる。火曜日と土曜日、そして日曜日は家にいて過ごすことにしている。人と接しながら過ごすことで、スミさんも喜んでいる。バルセロナの羊子や義也とは画面で対面できるし、ラインで送られて来る写真を見ては喜んでいるのである。新しい年と共に新しい生活様式になり、この一年も希望をもって歩みたいと思っているのである。



1月6日、深沢教会におけるニューイヤーコンサート



おばあちゃんに抱っこされて。



12月21日、羊子の誕生会。今年は日本でお祝い。



一人遊びをする。

隠退牧師の徒然記<454>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<454>
2017年11月23日「楽しく通話しながら」



聖書の言葉
高い山に登れ。良い知らせをシオンに伝える者よ。力を振るって声をあげよ。良い知らせをエルサレムに伝える者よ。声をあげよ、恐れるな。ユダの町々に告げよ。主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め、小羊を懐に抱き、その母を導いて行かれる。
旧約聖書イザヤ書40章9-11節)



今の社会、連絡にしてもすぐに連絡が出来るので、便利と言えば便利である。最近、子供たちからラインなるものを教えられ、最近はもっぱら子供たちと連絡している。バルセロナ、海老名、相模原に住む子供たちと、何かと連絡し、話し合うことができる便利さを喜んでいる。しかし、インターネットによる犯罪が後を絶たないことは、文化の発達を喜びながらも眉をひそめているのである。ツイッターとかSNSとかで連絡し、悪いことをする人たちがいること、便利さと悪者はいつも一体となっているのである。それを思うと、昔の通信が懐かしくもある。
高校生の頃、書店で、近日「学生週報」という週刊誌が発行されるという広告と共に、「声欄」の原稿募集をしていた。それで、当時は文通が盛んであり、その文通のあり方について投稿したのであった。文通を希望する場合、いきなり封書で送るのではなく、まずハガキで自己紹介をしながら、文通希望者に送るべきである、という内容で投稿する。その投稿が採用され、発行された「学生週報」の週刊誌に掲載されたのである。まさか採用されるとは思っていなかったのであるが、それからが大変になる。数日後、どっとハガキが送られてきたのである。いずれも文通希望者であり、投稿の内容に賛成であるという。驚いたのは我が家の家族である。知らない人、ほとんどが女の子であり、事情を説明したのであるが、やたらに文通することを注意するのであった。そう言いながら、送られてきたハガキの内容を見て、この子は良さそうだ、なんて評価するのであった。何通かこちらからもハガキを送ったが、長続きもせず、いつの間にか終わってしまったのである。文通が何よりの楽しみであった時代なのであった。
電話が次第に発達してきて、ある番号に電話すると、面白いことが聞けるというので、若い人たちの人気になったこともある。しかし、その電話番号にかけると高額な料金となり、家庭問題になっていた。電話局はポケットベルなるものを売り出す。電話局が幼稚園の園長は必要なものですよと売り込みに来る。早速、携帯するようになる。何か用事があればポケットベルが鳴る。鳴ることにより、家に電話をするのである。なんてことはない時でもポケットベルで呼び出されることもある。「何時に帰るのか」とか「夕ご飯、何がいい」なんての連絡である。しかしまた、ポケットベルで重要な状況を知らせられる。友人と共に渋谷にいたときである。ポケットベルが鳴ったので自宅に連絡する。すると教会に関係する青年が危篤であるというのである。すぐさまタクシーで横浜市立大学病院に駆け付けたのであった。何とか命を取り留め、その後の療養が続いたが天に召された。
そして、その後は携帯電話が普及し始める。最初の頃は電話機の子機のように大きく、携帯とは言えないものであった。次第に発達し、ポケットにも入れられる便利さになる。そして今はスマートフォンである。様々な情報が詰まっているスマホは今や多くの人が所有している。その弊害が出てきており、まだまだガラケーと言われる携帯電を使用しているので、嘆かわしく思っている。
ラインはダブレットを持つ様になったので、子供たちと連絡しあっている。それまではメールで連絡していたが、メールもいちいちアドレスを打ちこんだり、迷惑メールに困っているので、もっぱらラインで連絡するようになっている。早く伝わることは結構なことであるが、やはり考える時間を持ちつつ連絡することが大切であると思うのであるが…。



ラインを楽しんでいるタブレット端末。



スマホを嫌ってガラケーなる携帯電話を愛用している。



ラインですぐ知ることができるバルセロナの様子。



孫の義也君も成長していることを知ることができる。

隠退牧師の徒然記<453>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<453>
2017年10月31日「祝福の歩みへと導かれ」



聖書の言葉
ヤコブは、ヨセフを祝福して言った。「わたしの先祖アブラハムとイサクが、その御前に歩んだ神よ。わたしの生涯を今日まで導かれた牧者なる神よ。どうか、この子供たちの上に祝福をお与えください。」
旧約聖書・創世記48章15-16節)



早いもので10月31日を迎え、もう一年が経ってしまったとの思いである。一年が経ったというのは、昨年の10月から横浜本牧教会付属早苗幼稚園の園長を担うようになったからである。横浜本牧教会は前任者が9月で退任したので、当面の間は代務者を置くことにした。同教会は牧師が幼稚園の園長を兼任していたのであるが、代務者に就任した牧師は、他の大切な職務を担っているので幼稚園までは担えないといわれる。それで教会は、2010年4月から9月まで横浜本牧教会の代務者および幼稚園の園長を担った私に、園長の務めを依頼されたのである。久しぶりに園長に復帰し、月に一度であるが教会の説教も担当させていただいている。それから早くも一年が経ってしまったのである。教会は新しい牧師、園長の就任を願って招聘委員会で協議しているのである。新しい歩みが祝福されるようお祈りしているところである。
ところで本日の10月31日は宗教改革記念日である。中世の16世紀に新しい祝福の歩みを求めて宗教改革運動を展開したのは、一人マルチン・ルターだけではなく、ヨーロッパのそれぞれの地でのろしが挙げられたのである。しかし、やはり最初に当時のカトリック教会に、信仰のもち方について問題点を投じたのはマルチン・ルターなのである。今年は、丁度500年になり、それぞれの場で宗教改革500年の意義を確認し、お祝いされているのである。その宗教改革によってプロテスタント教会が成立し、今日、私たちの信仰になっているのだから、やはり宗教改革を喜びとしなければならないのである。何にしても、発展することにより、本来の姿が変わってくるのである。カトリックという普遍的なキリスト教であったにしても、時代とともに信仰のもち方が変化してくる、人間的に思いが重く支配するようになるからである。当時の教会は大教会を建設するための資金が必要であり、そのために「免罪符」なるものを売ることになる。そのお札を買えばどんな罪でも許されるということであれば、人々は喜んで買ったのであった。そういう信仰のもち方に問題提起をしたのがマルチン・ルターであったのである。
祝福の歩みへと導かれるために、自分達の存在を主張すること、それは自然の成り行きなのである。スペインのカタルーニャ州の人々が独立を求めて、その存在をアピールしたこと、理解できるような気がする。2012年に娘の羊子がバルセロナに滞在しているので夫婦で訪れ滞在した。ちょうど9月11日を迎え、独立を叫ぶ日でもあった。150万人もの人々が一堂に会したのであった。カタルーニャはスペインにありながら、カタラン語も併用している。カトリック教会はカタラン語でミサをささげているのである。今回は、一応独立を叫ぶ声は治まったようであるが、カタルーニャの人々は祝福の歩みを常に持ち続けるであろう。
祝福の歩みを祈るので、日本では七五三の習慣があるが、どこの国も子供たちの祝福の歩みを祈っているのである。カトリック教会は生後間もない子供に幼児洗礼を授けることになっている。娘の羊子の子供、義也君にも幼児洗礼を授けてもらった。去る10月15日である。生後八ヶ月になっている。当日は多くの知人が出席し、お祝いしてくれたという。幼児洗礼は祝福の成長となるよう、両親の祈りの出発点でもある。義也君の両親は、実は幼児洗礼を牧師である私に求めたのであった。ちょうど7月末から8月末まで羊子と義也君が一時帰国していたときである。六浦谷間の集会として洗礼式がおこなわれた。日本基督教団の場合、洗礼式は教会の業である。教会の名において洗礼式を執行し、教会の小児会員に登録されるのである。六浦谷間の集会の名において幼児洗礼を授けても、集会は日本基督教団には登録されていない。従って、日本基督教団の一員にはならない。私的な洗礼式となるのであるが、プロテスタントの洗礼も受けているということになる。やがて、本人の祝福の歩みとなることを祈っているのである。  
担っている幼稚園の子供たちをいつも見つめている。祝福の成長が導かれるよう、いつもイエス様のお心を示しているのである。



カトリック教会で幼児洗礼を受ける義也君。



幼児洗礼の喜びを証しする両親。



六浦谷間の家の礼拝にて幼児洗礼を受ける。